認知症一人暮らし終了の父と遠距離介護の私

頑張りすぎない、周りのプロに頼る、自分を大切に、を忘れないようにしながら認知症一人暮らし父(要介護2)を遠距離介護中です。父のことは好きだけれど、時々背負い投げしたい時もある。でもやっぱり好き!後で読み返して笑うために書き溜めています。

父とエアコンと私~賽の河原2021夏~

朝7時。今夏、実家のリビングに設置したスマートリモコンが、「室温26度以上でエアコンの冷房をオン」の信号を発したことを、スマホアプリにて確認。

朝8時。スマートリモコンの温度センサーで、実家の室温が27度を超えていることを確認し、父に電話。
「お父さん、エアコンの電源コード差さってますか?」
「抜いてある」
「あのね、エアコンは私が東京から、部屋が暑くなったら冷房つけて、涼しくなったり夜になったら自動で消えるように操作してるんだ。コードを抜くとそれができなくなっちゃうから、コード抜かないで欲しいの」
「分かった」
「このまま待ってるから、コード差し直してもらっても良いかな?」
父、エアコンのコードを差し直す。
「差したよ~」
「有難う。あと、電源コードの横に「コード抜かないでね!」って貼り紙貼ってあったしょ?」
「あるわ~全然見てないけど、ははは」
「うん、貼り紙読んでね。コードは差しっぱなしで良いからね、抜かないで欲しいの」
「分かった分かった、じゃあね~」
切電。

朝9時。室温下がらず、再び実家に電話。
「お父さん、エアコンの電源コード抜けてませんか?」
「抜いてある」
「あのね」以下略。

朝10時半。室温28度近くに上昇。
「お父さん、エアコン」以下略。

正午。室温以下略。

14時。以下略。

以降、夜20時にスマートリモコンが冷房オフの信号を発したとスマホアプリに通知が来るまで、延々と以下略。

「北海道の夏は涼しい」なんて、最近は遠い昔の話になりつつある。
私が子どもの頃は、日中は窓開けとうちわとたまに扇風機、夜に至っては「寒いから外套着ていきなさい」と言われるような環境だったが、ここ数年は最高気温30度を超える日も、珍しくなくなった。

我が家には、10年程前からエアコンが導入されている。
当時の地元としてはまだ珍しかったが、恐らく母がこれからの事を考えて、先手を打ったものと思われる。
しかしながら、折角我が家にお越しいただいたうるるさんもさららさんも、リビングでご活躍されている姿を今まで私は見たことがなかった。
吹き出し口から一度も顔を見せぬまま、10年塩漬けのうるるとさらら
どれだけ北海道の夏が暑くなろうと、母が入院しひとり暮らしとなった父に、未だに「窓開けうちわ扇風機」が染みついているせいだ。

最高気温30度超え、採光重視でやたらと窓が多い我が家は、太陽の恩恵をもろに受け見事に蒸し風呂。
南東の窓に背を向けて配置されたひとりがけソファは、父の定位置だ。
もう、約束された灼熱地獄。
にもかかわらず、彼の手持ちは未だに「窓開けうちわ扇風機」なのである。

当然、全く太刀打ちできていない。
窓を開けたところで入ってくるのは熱風、それをただいたずらにかき回すだけの扇風機、それよりは多少ましな気がするうちわにしたって、人力なのですぐに疲れて手が止まる。
おまけに、こちらがその場で手渡さない限り、なかなか自主的には水分摂取もしない。
特にエアコンは、今まで使っていなかったせいでリモコンの電源ボタンを入れること自体がもう「分からない」、おまけに差しっぱなしは「電気代がかかる」と、電源コードを抜きたがる。

こちらがどれだけ「今日とっても暑くなるって天気予報で言ってるよ」、「だからエアコンをつけて」、「お茶も飲んで」と言ったところで、「別に暑くない。平気だ」の一点張り。
しかし、アレクサのビデオ通話の画面に映る、Tシャツもズボンも脱ぎ捨てグンゼの肌着のみとなっている姿からは、全くもって大丈夫ではないことだけが、びんびんに伝わってくるのである。

どうにかしないと、父が干からびる。

昨年一昨年の猛暑厳しい夏に、相変わらずのヒノキの棒と鍋のフタで立ち向かった父は、食欲がてきめんに落ち目に見えて衰弱してしまった。
特に昨年は、なかなか帰省スケジュールが立てられない中夏の帰省が叶わず、私は気を揉みに揉んだ。
今利用している小多機では、初の夏となる。
ケアマネさんに昨年一昨年の様子をお話しし、1日数回のヘルパーさん訪問時に、暑ければ都度エアコンをつけてもらい、前回帰省時に冷蔵庫にしこたま補充してきた飲みきりサイズの紙パック飲料を、食事の際に添えてもらい、喉ごしの良い茶碗蒸しやゼリーなど、少しでも口に入れやすいものを父に出していただき、可能な限り熱中症リスクを減らせるようお願いした。

しかし、これでは根本の「部屋の暑さ」は解決しない。
何とかして、我が家のエアコンを稼働させ、部屋の中を涼しくしたい。
10年越しのうるるとさららに、活躍の場を提供したい。

そんなわけで、8月に帰省した際、リビングに温度センサー付きのスマートリモコンを取り付けてきた。

複数の家電のリモコンを集約し、アプリで一括操作できるという、QOL爆上がりな便利アイテム、スマートリモコン。
これを使って私の方でエアコンの制御ができれば、父の熱中症リスクを格段に減らすことができる。

そして、スマートリモコン導入後、父のQOL及び私の状況はどうなったかというと、冒頭の通りだ。

電源コードを巡る、お手本のような無限地獄。

そもそも、スマートリモコンは、制御したい家電の電気供給が絶たれていないことが大前提だ。
そこにきて、父の得意技は「止めたい家電は、電源コードを抜く」である。
冒頭の会話の中で、父が「分かった」筈の「エアコンは娘が遠方から操作しているから、コードを抜かない」は、切電後凄まじい速さで忘却の彼方。
そして気づけば、父としてはつけた覚えのないエアコンがついている。
消したいが操作が分からない。そうだ、電源コードを抜こう。
父としては、至って当然の結論だろう。

目下、我が家のスマートリモコンは、受け止め先のない信号をただひたすらに発し続ける、悲しき装置と化している。

切なさが凄い。

電源コードを抜いては差し、差しては抜き、抜くのも差すのも自分という、セルフ賽の河原状態の父。
実家の室温が分かるようになったことで、安心感と同時に「こんなに室温が上がっているのに、電源コードが抜かれているから冷房をつけられない」ジレンマとを手に入れた私。

何この、誰も幸せになっていない図。
連日、父父父父で埋まっている、我がスマホの発信履歴が怖すぎる。

今までも父は、レンジフードのお手入れサインの点滅が気になり、台所のブレーカーごと落とし冷蔵庫を終了させたり、電話機のコードが刺さっているタコ足の電源オンの点灯が気になり、タコ足を抜き電話を終了させたりしてきた。
父の、止めたい家電に対する行動意欲は凄まじい。

「電源コードを抜く、もしくはブレーカーを落とす」という最強の物理攻撃カードを持った父を前に、電気供給あっての便利グッズをどう活用していくか。
スマートリモコンに限らず、これは父の遠距離介護をする中での、私の重要課題でもある。

エアコン攻防については、今夏はもう来夏への踏み台として割り切っている。
ひたすら電話をかけまくり、エアコンは私が制御しているから、電源コードを抜かないで欲しいと日に何度も伝えることで、少しずつでも父の体に染みこみ、冷房がついている時間が今より長くなれば御の字だ。

父が快適に暮らせる環境を、私が遠方にいても安定的に提供できる状態を作り、かつ私も安心したい。
その一心で、私は今日も電話をかけまくる。

時計たちのニルヴァーナ

父の寝室に、時計が3つ。
全て、ベッドのすぐ横にある机の上に、眠る父を拝むような配置で、それぞれ少しずつ距離を空けながら横並びに置かれている。

デジタル時計もあればアナログ時計もある。そのうちのひとつは、小学生時代に私が愛用していたファンシーなキャラクターものだ。午後の陽射しに照らされて、鮮やかなグリーンが目にまぶしい。
正面をベッドに向けて配置された時計たち。さながら、涅槃に入ったお釈迦様の周りを取り囲む動物たちのようだ。
ただでさえ最近の父の寝顔は安らかで、見ていると不安になり、裂いたティッシュを鼻先に垂らして生存確認したくなる程だというのに、父の寝室における安らか度が更に増してしまっている。

各所各所にやたらめったら時計を置きたがった母の影響により、実家には時計が多い。
玄関フードのテーブルにひとつ、玄関の靴箱の上にひとつ。
居間の電話台の上にひとつ、少し離れて壁掛け、反対側の壁にもひとつ、棚の上には、中学生の頃私が自ら購入したドラえもんの大きな目覚まし時計。

この時計、時間になるとどんちゃかミュージックとともにドラえもんの声で「あっさでっすあっさでっすあっさでっすよっ!プー!(ラッパのような音)あっさでっすあっさでっすおっきまっしょう!プピー!!あっさでっすあっさでっす・・・」と起こしてくれる、たいそうにぎやかな一品だ。
途中で壊れ、ドラえもんの声が裏返ったりガガガガッという音が混ざったりとなかなかホラーな目覚めを促すようになり、怖くなって電池を引っこ抜いたまま長年私の部屋の隅で埃をかぶっていたのだが、沈黙の彼は母に救われ、明るい場所に安住の地を得た。

まだまだある。食器棚の上にひとつ、食卓の上にふたつ、台所の窓辺にひとつ、風呂場前の洗面所にひとつ、仏間とトイレには、それぞれ壁掛けと置時計ひとつずつ。

少し数えただけでも、この調子である。
母は、別段時間に厳しかったわけでも、一分一秒せっつかれて生きている人でもなかった。
ただ、とても心配性だったので、とにかくどこにいても時計が目に入り時間が分かることで、安心感を得ていたのではないかと思う。

そんな時計溢れる我が家が、母が入院した今どうなっているかなど、わざわざ書くまでもない。
もう墓場。
部屋のそこここで、それぞれ最期の時間で時を止めた時計たちが死んでいる。
メインで使用している時計以外のものが電池切れで動かなくなっても、父は電池交換をしない。
そもそも、「見よう」という気のないものは例え目の前に突き出されても意識の中に入っていかない人なので、いつも見る壁掛け時計以外は、存在自体ないものとなっている可能性も大いにある。

そして私も、父が見ていない時計の電池を替えるのもなぁと、手つかずできてしまった。

右見れば7時13分、左見れば21時51分、振り向けば15時・・・長針が外れており何分かは不明。
かすかに生きているものもあるが、こと切れる寸前で秒針が数秒に一度しか動かず、時刻が全く正確ではない。
死に絶えた時計たちと、今にも命の灯火が消えかかっている時計たち。
気にしだすと、これがなかなか精神的に良くない。家中時の動かない時計たちに包囲されていることが、シンプルに怖い。
あと、どの時刻が正しいんだか一瞬分からなくなるので、大変不便。

3月に帰省した際、そんな時計たちを少し片づけた。いっぺんに処分して、父が「時計がない時計がない」となっても困るので、今後も父の様子を見ながら少しずつ減らしていく予定だ。

さて、父の寝室の時計に話を戻したい。
3つもいらないのは明らかである。そもそも、12月に帰省した時には、時計はひとつも置いていなかったように思う。
ファンシー時計はともかく、他のふたつはどこから持ってきたんだろう。この家には、あとどの位眠っている時計があるのか・・・

しかも、よく見ると3つとも全部死んでいた。待って、涅槃入りしてるのは時計の方なの?
時計としての用をなしていない時計を、眠る己に向けて3つ配置しているその意図とは。何に使っているのですか父よ。

という訳で、机に置くのは、その内の一番きれいなデジタル時計ひとつに絞ることにした。
電池交換をすべくふたを開けると、2本必要な乾電池の内1本が抜かれている。
若干不思議に思いながら、私は新しい単三電池2本を装着し、時計を蘇生させた。

そして翌朝午前6時。父の寝室から聞こえてきたけたたましいアラーム音。
どうやら、機能復活した時計にはアラームが設定されていたようだ。
慌てて寝室に駆け寄ると、何が起こったのか分からない父が、半ば混乱しながら時計の電池を抜こうとしていたところだった。

これだわーーーーーー!!!
父を囲む時計が増えてたの、多分これだわーーーーーー!!!!!

父は、電化製品で何か気になることが起きた際、問題を見極めて対処するのではなく、電気供給を止めて元から絶つという、「全てなかったことに方式」を採用している。
お陰で、レンジフードのお手入れサインの点滅を消すために台所のブレーカーごと落とし、後日冷凍庫を開けたヘルパーさんが悲鳴を上げたり、電話のコードを繋いでいるタコ足の電源ランプが気になり、タコ足のコードをコンセントから抜き、音信不通になって私の胃がぎゅうぎゅう絞られたりする。
しかし、こういった問題について、ケアマネさんもヘルパーさんも都度迅速に対応して下さるので、実際的にも私のメンタル的にも助かっている。
本当に本当に、ケアマネさんヘルパーさんの存在は大きい。

改めて、昨日外した他の2つの時計を確かめたら、2つとも電池が入っていなかった。
恐らく、止まるなり不具合なり今回のような突然のアラームなりで、父が電池を外し、存在自体を意識から消し去ったのだろう。

寝ぼけてふにゃふにゃの声で「なん、なんこれ、どした??」とあわあわしている父から時計を受け取り、「ごめんね~昨日電池取り替えた時、変なとこ押しちゃったのかも」と言いながら、アラーム機能をオフ。
我が家の時計削減計画とともに、時計に限らず電池で動くものについては、まだ動いていても今後はこまめに電池を入れ替えていこうと、密かに誓った。

復活のテレビアンテナ

「テレビ映んないんだわ」
だから、ソファに寝っ転がって一日中雑誌を読んでいるのだと、電話口で父は朗らかに言った。

昨年の冬から春にかけての間に、我が家のテレビアンテナはボッキリ折れた。
12月に帰省した際、テレビはBSだけが生きていて、地上波は「受信感度が低い」かなにかで映らない状態だった。
その時はまだアンテナは折れてはおらず、家電量販店に一度見てみて欲しいと依頼をしたが、「雪あるから無理」と断られ、12月中の対応はできなかった。

その話をケアマネさんにしたところ、業者に直接電話する方が良いかもとアドバイスいただき、3月の帰省時に修理してもらうべくネットで地元の家電店や工事業者を調べたのだが、電話しては閉店、電話しては廃業……。
郊外にできた家電量販店の威力をひしひし感じながら心も折れかけていたところ、何件目かの電話で「うちはもう辞めちゃったけど」と、他の業者さんを教えていただき、様子を見に来てもらえることになった。

その後の父との電話の中で、なんだかBSすら映らなくなっているような雰囲気を感じつつ、3月に帰省した際アンテナを確認したところ、これ以上ないほど清々しく折れて壁にぶら下がっていた。
こりゃ映らんわ。これで映ったら、アンテナとはだわ。

まだまだ雪が残る3月、ぐるりと雪に包囲された家の壁に、ぐんにゃりぶら下がるアンテナ。
父に工事の対応はできないので、私が実家にいる間に済ませたいことは伝えていたが、そもそも、3月は引越シーズンでアンテナ工事業者さん的にも繁忙期だそうだ。地元が田舎過ぎて、引越について全く失念していた。
状況によっては、期間内には工事できないかもしれないと前置きされていたが、最終的には帰省中の1週間の内に、下見、見積もり、工事と、全てしてくださった。
「いやー、お年寄りから「テレビ映んないんだわ」っていうのが1番多いのさ。お年寄りの家でテレビ映んないと困るもね。」と、忙しい中急な工事をねじ込んでくださった業者さんには、感謝しかない。

そんな訳で、我が家のテレビは復活した。

筈だった。

ところが5月上旬、2ヶ月足らずで冒頭のそれである。

「テレビが映らない」というのは、電源は入るが画面が映らずエラー表示がされるのか、砂嵐なのか、電源自体がつかないのか。
地上波もBSも映らないのか。
普段は主電源を切らずリモコンで操作していたので、リモコンの電池は切れていないか、主電源を切っていないか、そもそも、何かあったらすぐ抜いてしまう電源コードはちゃんとささっているのか。

言い方を変え質問内容を変え、何度も何度も確認したが、毎度父の回答はおぼつかず、父の認識で言うところの「テレビが映らない」状態であることしか分からない。
どうやら、リモコンではなく主電源をオンオフしているがつかないということらしいが、それも結局確かではなく、実際の状況は分からない。

相手が主張する不具合について、具体的な情報がないまま対応しなければならない時ほど、もどかしいことはない。
正確な状況把握ができないと、有効な手段も見つけられないのだが、「なんか変」としか分からない相手の話を聞き取り、断片的な情報から現状を想像し、解決策を提案するまでの道のりの長さたるや半端ない。
その道のプロならともかく、そもそも実家のテレビについての記憶がおぼろげすぎる私では、ろくな対応もできない。

脳裏にふと蘇る、3月の修理の記憶。
ひとつだけ懸念事項があった。
アンテナの設置可能箇所が限られている我が家、業者さんが「大丈夫だとは思うけど、この設置場所だと雪でまた折れる可能性はあるかも」と言っていたのだ。

まさかまたボッキリいった?
決してお安くない万円かかったのに?
とにもかくにも、対処しようにも状況が分からないので、ヘルパーさんにお願いして、訪問の日にテレビの状態を教えていただくことにした。
最悪、再び諭吉くん達が景気良く飛んでいくかもしれぬ。諭吉くんって、飛んでく時ほんと景気良く飛び立つよねぇ。来る時は、めちゃくちゃもったいぶるのにねぇ。

そして迎えた、ヘルパーさんご訪問日。
結論から言って、テレビは壊れておらず、諭吉くん二度目の飛翔は免れた。

どうやら父は、テレビ本体の側面に並ぶ主電源やその他のボタンの内、主電源ではないボタンを一生懸命押していたらしい。
そら、つかんわな。
盲点過ぎた。そんなの全く思いつかなかった。

「テレビ無事でしたよ~コードもささってます!」というヘルパーさんからの電話の向こうで、「映ってるわ~」と嬉しそうな父の声が聞こえ、実情が分かるまでの数日間緊張し続けていた私は、安心とともに脱力した。

本当に、本当に、ヘルパーさんにも、ケアマネさんにも、日々お世話になりまくっている。
介護従事者さんの仕事柄、こちらも言葉と態度でしか感謝をお伝えできないが、認知症の父が実家で一人暮らしをしていられるのは、何から何までケアマネさんとヘルパーさんのお陰なので、本当に感謝している。

感謝の気持ちで北に向かって拝んだ約10日後、実家の電話が繋がらなくなった。
電話のコードと一緒に同じタコ足に繋いでいたルーターもオフになっており、アレクサも沈黙。

……抜いたな、コード………………

本当に申し訳ない…再び北に向かってお詫びしながら、ケアマネさんに電話をかけた。

次回帰省時には、コンセントとタコ足にカバーをつけよう。
私は心に強く誓った。

これはハンカチですか? はい、ハンカチです。

父と外出する際に、着替えや鞄、持ち物確認などの準備を、私は手伝わないことにしている。

認知症の父は、「鞄必要か?」「財布持ったか?」「保険証どこだ?」、「ハンカチ持ったか?」「財布あるか?」「鍵持ったか?」、「ハンカチどこだ?」「鞄提げてくか?」「財布にお金入ってるか?」等々、自分が納得するまで同じことを繰り返す。
当然時間はかかるのだが、父との外出で「何時までに行かないと!」という用件があまりないので、出発が遅くなろうと構わないし、何より、父の外出準備ルーティンを崩したくないのが、一番の理由だ。

父が今できていることを、私が先回りしてしまうことでやり方がわからなくなり、できなくなるというのは避けたい。
今父ができていることを、可能な限り継続していく為にサポートするのが、私の役目だと思っている。

なので、どれだけ時間がかかっても、同じ確認を何度繰り返しても、私は横で、
「財布どこだ?」
「どこだろ、探してみよっか」
「ハンカチ持ったか?」
「どうだろ、ポッケ触ってみたら?」
と、一緒に付き合う。
タンスの同じ引き出しを何度も開けては、ないなぁないなぁと手でかき回し続け、ああーっあと10センチ左を探せばお目当てのものがあるのですが父よー!惜しいー!となっている時には、そっと「も少し左側も探してみると良いかも~」と、伝えることもある。
「あったわ~」と満足げな父が可愛らしく、「やったね~」と微笑み返す。

父は、昔からとてもきちんとした人だ。
外出時には、綺麗な服に着替え、ズボンには(例えジャージでも)しっかりベルトを締め、必ず綺麗なハンカチをポケットに入れていく。
そのハンカチなのだが、一度使うと当然洗う。そして、洗った後彼らはどこかに消えていく。
私が帰省する度に、タンスの引き出しに仕舞ってあるハンカチが減っているのだ。

家主に選ばれた奴は、二度と戻ってこられない。
普段暗がりでひっそり身を寄せ合い暮らしている彼らを、突然地を揺らし天を割り奪っていく恐怖の手。ハンカチたちにしてみれば、たまったものではないだろう。
恐らく、洗った後父の手によりどこか別の場所に収納されているのだろうとは思うが、今のところ探し出せていない。
いかんせん、我が家は小物を仕舞う場所に溢れており、父は、こちらの予想を超えた場所にものを仕舞うのが得意だ。
行方知れずのハンカチが、いつか「ここなの!?」というところからごっそり出てくる予感はしているが、その日はまだ来る気配がない。

引き出しを開け、ガーゼのハンカチを「これはなんか違うなぁ」、ウン十年前からずっとそこにあったのではとおぼしき温泉旅館のタオルも「違うなぁ」と、お気に召す一枚をあれやこれやと物色していた父から、ついに出発オーケーの合図が出た。
「よし、ハンカチも持った、いいぞー」

準備万端の父が選んだ一枚は、大きめサイズで白地に赤いチェック柄の、柔らかい生地の未使用品。
用途的な分類をするならば、いわゆる台拭きに分けられるものだっだ。

一応、他に「ハンカチ」に分類されるものがないか確かめてみたが、台拭き、タオル、ガーゼのハンカチ(父的にアウト)以外、適当なものは見当たらない。
まぁいいか、吸水性に優れているハンディサイズの布という点では変わらないし、未使用品だし。

さて、出発である。
「あれ、財布持ったか?」

前進一旦止め!出発準備もうワンターン!
私はまた、鞄の中身を一つ一つ取り出して確認する父を、横でのんびり見守ることにした。

エゾリス父、その後。

 

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お金の保管場所について、父がエゾリスと化したことは以前書いた通りだ。

そんなエゾリス父、「会計時に小銭を出す」ことが大分難しくなっており、買い物の度に財布に小銭が貯まっていく。
そして、ある程度貯まると今度は財布から出して家の中に移すのだが、「扉もしくは蓋のついているところ」は、父にとって小銭置き場として不足なしと判断しうるようで、小銭の保管場所は、なかなか多岐にわたる。

テーブルの上の小物入れや電話台の引き出し、食器棚はもとより、炊飯器の中さえも、父にかかれば便利な貯金箱である。
さすがに釜は空だったようだが、炊いたご飯の中から出てきたら、それはそれでフェーブ的だ。

ちなみに、小銭を貯め続けるのは元々母の癖でもあり、そんなこんなで家に貯まり続けた小銭を前回帰省時に両替したら、3万円ほどになった。
塵も積もれば3万円。
同じ3万円ならば、腕がちぎれる重さの小銭より、諭吉3枚の方が遥かに良い。なんせ軽い。
家から車、車から金融機関の建物への小銭移動だけで、枯れ枝よりも枯れている四十路の腕には重すぎて、窓口で両替を申し出る時にはもう、へろへろの息切れ状態となってしまった。
車がなかったら、小銭問題は見ない振りをしていたと思う。いやー、車ほんと便利。有難い。

お札は冷蔵庫へ、小銭は炊飯器へ。
住居内における、お金の保管場所に対する一般的な解から自由になったエゾリス父は、本家本元のエゾリスさんに倣い、貯食にも余念がない。

例えば菓子パン。
普通ならば、室内の日が当たらず涼しい場所を選ぶかと思うが、エゾリス父の解答は洗濯機。
その内、洗濯機からも小銭が出てくるかもなんて思っていたら、どっこい出てきたのは菓子パン。
さすがの想定外。
父は、脱いだ衣服などを洗濯機の中に直接溜め、それをヘルパーさんが洗濯して下さるのだが、たまたまその日何らかの天啓を得て、回す前に詳細に点検して下さったところ、発見されたという。

虫の知らせ、第六感。ご経験から来るひらめきなのだろうか。
おったまげるヘルパーさんに、父は「よく見つけましたねぇ」と感心したという。
いやいやいや!埋めたの!!あなたですしね!!!完全他人事になってますけども!!!

例えば米の買い置き。
少し前から、父の米の消費やたらめったら早い問題が、私とケアマネさんとの間で持ち上がっていた。
米大好き父は、一度に3合ほどを炊く。
昼は配食だが元々昼をそんなには食べず、残りを夜にも食べる生活をしている。
にも関わらず、米の消費が早いのだ。
かといって、体重の増加も見られず、傷んだご飯が捨てられている様子もない。

米が少なくなると「米がない、米がない」と、父は不安になる。
米問題は、未だに解決を見ていないが、手っ取り早い手段として、ちょうど私が帰省する1週間ほど前に、ヘルパーさんが一度に5キロを2袋購入されていた。
消費も早いし、安かったので買い置きして下さったらしい。
その2袋目が、どこを探しても見当たらないのである。

いやいやいやいやさすがにあるでしょ、本気で1週間で5キロ消費していたとしたら、君どこ部屋よって話でしょ。
台所、風呂場、洗面所、居間、押入、勝手口のフード。そして以前、いただきもののそうめんが箱ごと出てきたクローゼット。
父が開けられそうな扉やケースは全て開けてみたが、全く見つからない。
因みに洗濯機も開けてみたが、入っていなかった。

えっ、本当に5キロの米が1週間で向かった先は父の胃袋?1日何回炊いてんの?君ほんとどこ部屋?
85歳驚異の新人。脳裏に浮かぶ、青空に映える国技館の屋根とのぼり旗。私史上、初めての推し力士爆誕

亜空間に消えた米。
もう、探せるところは探し尽くしたと思っていた。
そんな矢先の、祖母の月命日。
たまたま帰省のタイミングと重なり、20年振り位に私も一緒に手を合わせたのだが、その準備をする中で、米の袋はひょっこり出てきたのである。
仏壇を仕舞っている、扉の奥から。

炊かない、盛らない、ダイレクトお仏飯。
お供えする気持ちは溢れんばかりだが、いささか豪気過ぎやしないか、父よ。
因みに副産物として、賞味期限が5年前に切れたお供え用の団子も出てきたので、こちらはゴミ箱へダイレクトシュートした。

開封してある米が少なくなった時に、また「米がない」とならないよう、私は未開封の5キロを米びつの隣に移した。
これなら父も米をとぐ度に目にできるし、しばらくは安心するのではないか。

果たして翌日、食材や日用品の買い回りに出た午前中のほんの2時間程度の間に、またしても米袋は姿を消し、やっぱり仏壇を仕舞っている扉から出てきたのである。
エゾリス父のひらめきと行動力に、私は敗北を喫した。

米5キロは結局、父の目の届かないところの方が良いと判断し、父からは隠しつつ、ヘルパーさんには場所をお伝えした。
「もしここから消えていたら、多分仏壇が入っているところにあるので」と言い添えて。

エゾリス父により、実家はにわかに宝探し会場の様相だ。
どうせ埋めるなら、沢山の諭吉と非課税で交換できる大きな夢の券が良いなぁ。
時折何枚かの宝くじを購入しては、「当たったらどうしよう」と動揺して眠れなくなっていた現役世代の頃の父を思い出しながら、両替されて諭吉になった元小銭を、そっと父の財布に戻した。

無限問答「今日は何日何曜日?」

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「ところで、今日は何日の何曜日さ?」

父は、認知症になってから「日付曜日を娘に尋ねる」という無限スキルを手に入れた。
無限スキルの発動頻度は、年を追うごとに加速している。
答えた直後に、間髪を入れず全く同じ口調で「ところで…」と再び問うこともままあり、一回のスキル発動におけるループ回数は、その時の父次第だ。

普段は遠距離のため、この無限スキルに付き合うのは毎朝の電話やアレクサでのビデオ通話の時位だが、帰省中は二人きりの空間で、それこそ夜となく昼となくがっぷり四つで向き合うことになる。
せいぜい一週間程度の限られた期間内であったとしても、一日中続くと心象風景的にはもう賽の河原、地味に結構な負担だ。

加えて問題となっているのが、私自身この質問にすぐ答えられないことである。
いつ何時でも正しい日付曜日が分かっていれば、父のスキル発動時に機械的に即レスもできようが、「えーっと…ね…水曜日なんだけど、日曜が〇日だったからえーっと…?」と、こちらもこちらで大変おぼつかない。
曜日は分かるのだが、己の日付感覚がざっくりしすぎていて、とっさに分からないのだ。日付を意識していなさすぎて、部屋に置いてあるカレンダーが1・2月分のままだったことに、3月末日に気づく有様だ。
2ヶ月表示のカレンダーにしておいて良かった。3・4月分の絵も、残り1ヶ月は楽しむことができる。

あっちがよぼよぼなら、こっちはよれよれ。私も、父のことを言えた義理ではない。
という訳で、ついに我が家にも設置したのである。
以前ツイッターのフォロワーさんに教えていただき、また他の方の介護ブログなどでも「これは便利!」と好評の、デジタル日めくり。
標準電波を受信して、自動で誤差修正してくれるというありがたい機能付き。
置き型、壁掛け、両用タイプ。気温や湿度、天気まで分かるもの。
ネットで調べると色々な種類が出てきたが、父に必要なのは、「今日が何月何日何曜日か」がすぐ分かることなので、極力それ以外の情報が表示されないシンプルなものを探し、上半分に時間と日付、下半分に曜日がこれ以上ない程大きく表示されたタイプを購入した。

この日めくり、本当に曜日表示の大きさが尋常ではない。
「〇曜日は生ゴミの日」、「〇曜日はヘルパーさんが料理を作ってくれる日」と、日付よりも曜日で今日の出来事を認識していることの方が多い父に対し、「ワタクシをご覧いただければ!瞬時に!!」という気概をビシビシ感じ、見るからに頼もしい。
いける、これはいけるぞ!

購入したものの、実家でいざ開封したら思っていたのと違う…となると困るので、一旦私の家で実際に大きさや使用感を確かめた上で、実家に持ち込んだ。
私の家でも実家でも、日めくり持ってあっちうろうろこっちうろうろ、窓際にしばらく置いておいても初回の電波受信がにっちもさっちもうまくいかなかったが、手動でも設定できるのでそこはまあ構わない。

早速、電話台の上の壁掛けカレンダーの横に設置。
縦235mm横133mmの素晴らしい存在感。圧倒的に無視できない大きさだ。
その下半分が曜日。本当に、やけくそのように曜日がでかい。
設置した後、電話台の対面の壁側に置いてある一人掛けソファで読書している父のところまで移動し、文字の大きさや見え方を確認、光の反射や角度による表示の見にくさなどもないことを確かめ、ついに父に披露した。

「お父さん、お父さん」
「ん?なに?」
「カレンダーの右横をご覧ください!」
「カレンダー…そういや今日何日の何曜日さ?」
きました!待ってました!ハイ!!
「お父さん、そこでカレンダーの右をご覧ください。今日が何日何曜日かすぐに分かります!」
「んー……おお、14日、日曜日。どしたのこれ?」
「お父さんへのプレゼントです!どう?便利じゃないこれ?私もよく日付分からなくなるから、いいなぁと思って」
「おお、いいなぁ」

よしよし好感触。
父の視界でも問題なく見えているようで一安心し、しばし歓談。
「ところで、今日は何曜日さ?」
「お父さん、カレンダーの右をご覧ください!」
「おお、なにこれ?」
再び説明アンドきゃっきゃきゃっきゃ。
「ところで、今日は何日の何曜日さ?」
「お父さん、あちらを!」デジタル日めくりを指さす私。
「…14日、日…おお~あれどしたのさ?」
またまた説明アンドうふふうふふ。

日付曜日を聞きたい父と、新グッズをお披露目したい私の、幸せ無限ループ。
さながら、お花畑で手と手を取り合いくるくる回る恋人たちのごとく、何日何曜日問答を延々繰り返す二人。
良かった、この方法はうまくいきそうだ。私は勝利を確信した。

そして、勝利確信から一夜明けた3月15日、月曜日。
繰り返される、父「何日何曜日」、私「お父さん、あちらを!」
「3月15日、月曜日…おお~これいいなぁ」
「でしょ~!便利だよね!」
にこにこうふふ。いやぁ今日も平和だわぁ。
「ところで、あれに出てる3月15日の月曜日ってなにさ?何がある日?」

「……んっ?」

おっとっとそうきたか。
父、今度はデジタル日めくりに表示されている日付曜日が、何を指しているのかわからないというのである。
何かのイベントがある日が、予め表示されていると思ったようだ。
ここにきて、まさかの無限スキルレベルアップ。父の手札は多彩すぎて、本当に驚かされるばかりだ。
あれには今日の日付と曜日が出るんだよと説明しつつ、私は即行紙にサインペンで「今日は」と大書し、デジタル日めくりの上部に貼り付けた。

認知症の父への対応は、いつもいつも手探りだ。今日成功したことが、明日も成功するとは限らない。
去年は、電話以外の連絡手段としてアレクサを導入し、今回はデジタル日めくり。
アレクサをアレクサだと認識できない父のため、アレクサにはでかでかと「アレクサ」と書いた紙が貼ってあるし、今回の日めくりにもでかでかと「今日は」の紙。
デジタルツールを取り入れつつもアナログ全開の我が家だが、頼れるツールがどんどん増えているこの状況は、遠距離介護の身としては本当に有難い。

次回帰省時には、夏場どれだけ暑かろうと「面倒くさい」とエアコンを使わない父のため、スマートリモコンで動かせるように設定したいと、ひそかに企んでいる。
知らぬ間に勝手にオンオフされるエアコンに恐怖した父が、コードを引っこ抜く未来が既に見えている気もビンビンするが、帰省するまでにうまい方法を考えたい。

回転寿司と千手観音

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千手観音になりたい。
父と回転寿司屋へ行く度に思う。

寿司好きの父は、私が帰省するといつも回転寿司ディナーを所望する。
近所には、タッチパネルで注文するタイプの店と、紙に書いて手渡すタイプの店とがある。
父は、寿司は好きだがネタにこだわりはなく、「何食べたい?」「何でもいい、適当に頼んで」と丸投げしてくるので、注文は全て私が担当だ。

食事ペースが早く、寿司に限らず待たされるのが嫌いな父の元に、切れ間なく寿司が届くように注文しつつ、合間に自分も食べるというのは、なかなかに難しい。
立ち回り的には、会社の飲み会に近い。
しかし、支払いは父持ちなので、会社の飲み会のように「ろくに食えんメシに給料半日分の金払わされた挙げ句無賃残業させられてるんですけどナニコレ」感はない。
本当に、会社の飲み会の存在意義が分からない。気持ちいい位金ドブだが、昨今の情勢でぱったりなくなった。これについては、素直に大変喜ばしい。

タッチパネル店には10貫程がひと皿に乗ったセットがあり、ひとまずそれを頼んでおけば、次の注文まで時間を稼げる。また、タッチパネルでの発注はすこぶる楽。
しかしそこは人気店で日時によっては大変行列するため、今回は紙注文店に赴いた。

着席。
カウンターに通されたため、あまり皿を置くスペースがない。発注ペースをざっと段取る。
父にお茶とガリの用意をお願いしている間に、1回での注文上限である3皿(全て父用定番ネタ)を記載して発注。
ガリが大好きな父、初回分が届くまではガリとお茶でご機嫌。
私、店内に貼り出された「本日のおすすめ」も見つつ、2回目注文3皿分を記載(1皿は自分用)。
初回分到着と同時に、2回目分手渡し。

父、久し振りのお寿司にご満悦。
私、ガリとお茶をがぶ飲みしつつ父に寿司ネタの希望を聞くも、いつもの「何でもいい」。
2回目寿司着、3回目として父2皿と自分用蟹汁を発注。
ここで店が混み始め、提供に時間を要しだす。
父、回転寿司なのにレーンに寿司が回っていないに気づき、店員さんに「どうして寿司が回ってないの?」と質問。「予め握ったのを回すのではなくて、注文もらって出してるんですよ~」と教えてもらう。

蟹汁着。4回目(父1、私2)を渡す。
焦れる父に自分用蟹汁を薦めるが、いらないと拒否。

私、まだ最初の1皿手つかず。そしてこの蟹汁が、大変な番狂わせだった。
華奢な足が申し訳程度に沈んでいる位かと思っていたら、甲羅も立派な足も山盛り入っており、ハサミと蟹スプーン付属。これで240円(確か)。価格破壊も甚だしい。
自分用1皿目の寿司を残したまま、ひたすら蟹の身をほぐす。焦りながら、空腹は引き続きガリとお茶で凌ぐ。
ほぐす合間に寿司をつまめば良いのかもしれないが、できれば寿司は蟹汁と味わいたい。そんな気持ちとガリ&お茶で、心と胃袋がいっぱいになっていく。

3回目発注分が来ない父、自分の席のレーンには寿司が来ないが、向かいのレーンにはどんどん寿司が来ていることが気になり、「何で寿司回っていないの」と、かなり大きな独り言。
奥で握られた寿司を、店内の店員さんに向けて流すのに向かいのレーンを使用しているからなのだが、父には分からない。「今握ってくれてるから、もう少し待って」と、せっせと蟹をほぐしながら声がけ。

数分後、再び「何で寿司が回ってないの、向こうには来てるのに」と店員さんに質問する父。「もうすぐ来るから待って」と声がけ。
父は先程の質問を忘れているだけなのだが、「このお客さんめっちゃ焦れてる」と思った店員さん、奥に「急ぎで!」とわざわざ伝えてくださる。

3回目着。吸い込むように食べる父、その横でまだ蟹の身ほぐしている私、どんどん冷める蟹汁。放っておかれる己の寿司。
即座に食べ終わり、また寿司の流れないレーンを気にしだす父、「ここのお店、回転寿司なのに寿司が回ってないね」と、声量大きめに発言。
私と店員さんに緊張が走る。違うんです店員さん、大丈夫なんで!ほんと大丈夫なんで焦らず順番に握っていただいて!!

気をそらせるため、ダメ元で「お父さん、この紙に食べたいお寿司書いて」と、紙とメニューを渡してみることにした。
拒否される前提だったが、どっこい素直にメニューを眺め、いそいそ記入する父。
できるじゃん!
いつも「何でも良いから頼んで」と言われるので、父に注文はできないと決めつけていた。
今まで、できることを勝手に潰してしまっていたのだなと反省しながら、どうしても殻から外れない蟹の身を必死になってほじくる。蟹を前にして、「この程度で良いか」はない。というかもう、止め時が分からない。

4回目着。父、5度目の発注を自ら行う。
寿司どころではない私、届いた自分用2皿の1貫ずつを父に提供。
ここでやっと、蟹の身との格闘に終止符。
達成感とともに冷めた蟹汁をすする。
めちゃくちゃうまい。冷めてるけど。蟹の身たっぷりで、小ネギがしゃきしゃきでうまい。多分、冷めてなかったらもっと最高にうまい。
次来た時も頼もう。反省は活かされない。
満足しながら、ようやく寿司を口に運びつつ、6度目として自分用に1皿と茶碗蒸しを発注。

5度目、6度目着。父発注の1皿は品切れで2皿となる。
もぐもぐしている父に腹具合を尋ねると、「そろそろもういいな、あと2皿位頼んで」とのことで、ラスト注文。

発注作業終了。
あとは父の最後の寿司が提供され、食べ終わるまでの間に、自分の分を全て平らげるだけだ。
急いで茶碗蒸しの蓋を開け、さじですっすすっす掬っては食べる。
私は、ここの茶碗蒸しのファンだ。銀杏ではなく栗の甘露煮が入った、北海道の味。
ほんのりあたたかい甘さに人心地がつく。もう大好き、ここの茶碗蒸し。

ラスト分着。父のお茶をつぎ足す。
父、最後の寿司も綺麗に平らげ、「おいしかったわ。お前がいないと寿司も食べに行けないしょ」と至極満足。
ほぼ同時に私も食べ終え、お茶で口をさっぱりさせる。
「支払いはこれでしなさい」と財布を預かり、会計。
「お父さんごちそうさまです。有難う!おいしかったね~」「何を言う何を言う、お前がいないと来られないもね」と、父娘でにこにこ退店ありがと~ございました!

本日の任務、「父との回転寿司ディナー」コンプリートである。

私としては、父との回転寿司は落ち着いていられないので、寿司食べに来たんだか注文しに来たんだか正直分からない。
しかし、お腹いっぱいの父が本当に嬉しそうなので、別に構わない。
構わないのだが、やはり腕2本ではあまりに忙しないので、千手観音になりたい。
いや、千でなくとも、脇から左右あと二本ずつ、百手観音位でもいい。

しかし、今日は良い発見があった。
次回この店に来る時は、是非父に自ら注文してもらおう。一緒にメニューを覗きながら、あれもおいしそうこれもおいしそうと各々注文用紙に書き入れるのは、きっと楽しい時間になる。
新たな希望を胸に、私は車を発進させた。