認知症一人暮らし終了の父と遠距離介護の私

頑張りすぎない、周りのプロに頼る、自分を大切に、を忘れないようにしながら認知症一人暮らし父(要介護2)を遠距離介護中です。父のことは好きだけれど、時々背負い投げしたい時もある。でもやっぱり好き!後で読み返して笑うために書き溜めています。

エゾリス父、その後。

 

nasuka-kaigo.hatenablog.com

 

お金の保管場所について、父がエゾリスと化したことは以前書いた通りだ。

そんなエゾリス父、「会計時に小銭を出す」ことが大分難しくなっており、買い物の度に財布に小銭が貯まっていく。
そして、ある程度貯まると今度は財布から出して家の中に移すのだが、「扉もしくは蓋のついているところ」は、父にとって小銭置き場として不足なしと判断しうるようで、小銭の保管場所は、なかなか多岐にわたる。

テーブルの上の小物入れや電話台の引き出し、食器棚はもとより、炊飯器の中さえも、父にかかれば便利な貯金箱である。
さすがに釜は空だったようだが、炊いたご飯の中から出てきたら、それはそれでフェーブ的だ。

ちなみに、小銭を貯め続けるのは元々母の癖でもあり、そんなこんなで家に貯まり続けた小銭を前回帰省時に両替したら、3万円ほどになった。
塵も積もれば3万円。
同じ3万円ならば、腕がちぎれる重さの小銭より、諭吉3枚の方が遥かに良い。なんせ軽い。
家から車、車から金融機関の建物への小銭移動だけで、枯れ枝よりも枯れている四十路の腕には重すぎて、窓口で両替を申し出る時にはもう、へろへろの息切れ状態となってしまった。
車がなかったら、小銭問題は見ない振りをしていたと思う。いやー、車ほんと便利。有難い。

お札は冷蔵庫へ、小銭は炊飯器へ。
住居内における、お金の保管場所に対する一般的な解から自由になったエゾリス父は、本家本元のエゾリスさんに倣い、貯食にも余念がない。

例えば菓子パン。
普通ならば、室内の日が当たらず涼しい場所を選ぶかと思うが、エゾリス父の解答は洗濯機。
その内、洗濯機からも小銭が出てくるかもなんて思っていたら、どっこい出てきたのは菓子パン。
さすがの想定外。
父は、脱いだ衣服などを洗濯機の中に直接溜め、それをヘルパーさんが洗濯して下さるのだが、たまたまその日何らかの天啓を得て、回す前に詳細に点検して下さったところ、発見されたという。

虫の知らせ、第六感。ご経験から来るひらめきなのだろうか。
おったまげるヘルパーさんに、父は「よく見つけましたねぇ」と感心したという。
いやいやいや!埋めたの!!あなたですしね!!!完全他人事になってますけども!!!

例えば米の買い置き。
少し前から、父の米の消費やたらめったら早い問題が、私とケアマネさんとの間で持ち上がっていた。
米大好き父は、一度に3合ほどを炊く。
昼は配食だが元々昼をそんなには食べず、残りを夜にも食べる生活をしている。
にも関わらず、米の消費が早いのだ。
かといって、体重の増加も見られず、傷んだご飯が捨てられている様子もない。

米が少なくなると「米がない、米がない」と、父は不安になる。
米問題は、未だに解決を見ていないが、手っ取り早い手段として、ちょうど私が帰省する1週間ほど前に、ヘルパーさんが一度に5キロを2袋購入されていた。
消費も早いし、安かったので買い置きして下さったらしい。
その2袋目が、どこを探しても見当たらないのである。

いやいやいやいやさすがにあるでしょ、本気で1週間で5キロ消費していたとしたら、君どこ部屋よって話でしょ。
台所、風呂場、洗面所、居間、押入、勝手口のフード。そして以前、いただきもののそうめんが箱ごと出てきたクローゼット。
父が開けられそうな扉やケースは全て開けてみたが、全く見つからない。
因みに洗濯機も開けてみたが、入っていなかった。

えっ、本当に5キロの米が1週間で向かった先は父の胃袋?1日何回炊いてんの?君ほんとどこ部屋?
85歳驚異の新人。脳裏に浮かぶ、青空に映える国技館の屋根とのぼり旗。私史上、初めての推し力士爆誕

亜空間に消えた米。
もう、探せるところは探し尽くしたと思っていた。
そんな矢先の、祖母の月命日。
たまたま帰省のタイミングと重なり、20年振り位に私も一緒に手を合わせたのだが、その準備をする中で、米の袋はひょっこり出てきたのである。
仏壇を仕舞っている、扉の奥から。

炊かない、盛らない、ダイレクトお仏飯。
お供えする気持ちは溢れんばかりだが、いささか豪気過ぎやしないか、父よ。
因みに副産物として、賞味期限が5年前に切れたお供え用の団子も出てきたので、こちらはゴミ箱へダイレクトシュートした。

開封してある米が少なくなった時に、また「米がない」とならないよう、私は未開封の5キロを米びつの隣に移した。
これなら父も米をとぐ度に目にできるし、しばらくは安心するのではないか。

果たして翌日、食材や日用品の買い回りに出た午前中のほんの2時間程度の間に、またしても米袋は姿を消し、やっぱり仏壇を仕舞っている扉から出てきたのである。
エゾリス父のひらめきと行動力に、私は敗北を喫した。

米5キロは結局、父の目の届かないところの方が良いと判断し、父からは隠しつつ、ヘルパーさんには場所をお伝えした。
「もしここから消えていたら、多分仏壇が入っているところにあるので」と言い添えて。

エゾリス父により、実家はにわかに宝探し会場の様相だ。
どうせ埋めるなら、沢山の諭吉と非課税で交換できる大きな夢の券が良いなぁ。
時折何枚かの宝くじを購入しては、「当たったらどうしよう」と動揺して眠れなくなっていた現役世代の頃の父を思い出しながら、両替されて諭吉になった元小銭を、そっと父の財布に戻した。