認知症一人暮らしの父と遠距離介護の私

頑張りすぎない、周りのプロに頼る、自分を大切に、を忘れないようにしながら認知症一人暮らし父(要介護2)を遠距離介護中です。父のことは好きだけれど、時々背負い投げしたい時もある。でもやっぱり好き!後で読み返して笑うために書き溜めています。

おめでとう狩り

先日、41歳の誕生日を迎えた。

出不精、趣味なし、非社交的。
行動範囲も交友関係も非常に狭い私には、定番・突発含め、年間通しておよそイベントというものがない。
ひとつ歳を取る度に、特に何のドラマも起こらぬまま平坦に過ぎ去った1年間をぼんやり振り返るのだが、昨年からの1年間は、いつにも増して何もなかった。
なさ過ぎて、1年が過ぎた実感すらない。

誰に会うも、どこに行くも、何かを買うも、何ひとつ予定のない誕生日。
唯一あるのは、毎月の通院。
通院ついでに、気になっていたハンドマッサージに行ってみようかと思っていたのだが、その1週間前から手足の裏以外の全身に謎の発疹が出てまーあ痒いのなんのって、このまま耐えていると痒みで気が狂うなと思ったので、病院追加。

寂しすぎるマイバースデー。
しかし、そんな寂しさマックスの私にも、「誕生日おめでとう」の言葉はやってくる。
複数届いた、バースデーカードやメール。華やかなイラストや写真とともに、ハッピーバースデーの文字が踊る。
どれもこれも、これからの私の1年間が素敵なものになるよう、お祈りしてくれている。
そして、そのどれもこれも、お祈りし終わった後はこう続いていた。

「店頭またはオンラインショップで〇〇〇〇円以上お買い上げの方に、〇〇プレゼント!」
「ご注文時〇〇サービス!」
「特別クーポンをお届け!」
「お誕生月20%オフ!」

「お誕生日を迎えた特別なあなた」たる私は、その中から某ショップの特別クーポンをチョイスし、ちょうど切れそうだったいつもの基礎化粧品を購入した。

人間からの「おめでとう」が欲しい。しかし、待っていてもやってはこない。
ならば、自ら積極的に狩りに行こうではないか。

以下、父とのモーニングコール中の会話である。

「お父さんお父さん、カレンダーの横を見てください。今日は何月何日と書いてありますか?」
(実家のカレンダーの横には、今日の日付と曜日が巨大な文字で表示されたデジタル日めくりが掛けてある。)

「えーと、9月10日だね。なにさ」
本日は、私の誕生日です!」
「ほー!そうなの。オレはねぇ、〇月△日」
「うん、そうだね」
「そうかぁ誕生日かぁ、全然知らなかった。もうきょうだいの誕生日もわからないもね」
「うん、きょうだいじゃなくて、娘ですけどね」
「お母さんは□月◇日だわ」
「そうだね。で、今日は私の誕生日なんです」
「そうかぁ、オレはね、〇月△日。もう80なんぼも生きてるから、自分の誕生日も忘れそうだわ」
「もし忘れても、私が覚えてるから大丈夫だよ。でね、お父さん、今日は私の誕生日なんですよ」
「今日誕生日かい!オレはねぇ、昭和10年〇月△日。もう82か3か?」
「86になりましたよ」
「ええー!もうそんななるかい!?」
「特別大きな病気もしてないし、86でそれだけ元気なのは本当に有難いよねぇ」
「ほんとだー若い頃に無茶しなかったお陰だわ」
「そうだねぇ。でね、お父さん。今日は私の誕生日なんですよ」
「ほーそうなの!」
「それでね、」
「うん?」
「誕生日の人に、なんか言うことあるでしょ?」
「誕生日かぁ、兄はまだ生きてるなぁ90超えたかなぁ」
「お父さんの家系は、皆長生きだよねぇ。でさお父さん、誕生日の私に言うことは?」
「おめでとう」

言ったーーーーーーーー!!!!!
やっと言ったーーーーーーーーーーー!!!!!!
「オレの誕生日」ループに入った時、もうだめかと思ったわーーーーー!!!!!!

「20歳の誕生日おめでとう」
「ありがとう、ダブルスコアだけどね」
「ほっほっ」

父は元々冗談を言うのが好きな人なのだが、もはやこの手の台詞が冗談なのか本気なのかちょっと判断しかねるので、時々ヒヤッとする。
今回は、会話の雰囲気から冗談のようだ。

無事むりくり父からおめでとうをもぎ取り、任務終了。
生の「おめでとう」をもらうのは、やはり嬉しい。例え、言わせた感100%だとしても。
朝ごはんを摂ったかどうか、今何をしていたのか、テレビを見ていたと返ってくればどんな番組を見ているのか、部屋は暑かったり寒かったりしないか、などいつもの会話ルーティンも終わり、またねと電話を切ろうとした時、最後に父がもう一言添えた。

「ハッピーバースデー」

電話を切った後もその一言がじんわりしみて、今回の会話を録音しておけば良かったと、物凄くものすごく後悔した。

タンスの中の発酵ワンダーランド。

3月の帰省から4ヶ月後の、7月帰省時のことだ。

帰省初日に父のタンスを開けた途端、解放されし引き出しから飛び出して、私の鼻腔を颯爽と駆け上がってきたものがあった。
瞬間、私の脳内で「あかん」ランプがパッパパッパと明滅する。

臭い。

ただただシンプルに、めちゃくちゃ臭い。

もっと具体的に言うならば、日数をかけて熟成された汗と皮脂の混じった臭いが、たった今開けたこの引き出しのどこかから、強烈に存在感をアピールしていた。

臭気の元を、突き止めなければならない。

ソファに寝っ転がり、大好きな時代劇シリーズのCS放送を楽しんでいる父の後ろで、トリュフ豚さながらに鼻面を引き出しに突っ込み嗅ぎ回る、四十路の娘。
あっちくんくん、こっちくんくん、臭気の強くなる方向にどんどん鼻を移動していき、そしてついに引き出しのやや奥まったところから、真っ黄色に変色したよれよれのアンダーシャツを発見したのだった。

わぁ、買った時はきっと輝くばかりに白かったんだろうなぁこれ、もう全く面影ないけど。
衣類ってこんなに黄ばむんだなぁ。
そして、信じられないほど臭いわこれ。これだけ臭ければ引き出しの覇権を握るわ、ほんっと臭い。

父は風呂が嫌いだ。
最後に入浴したのは、今年の1月。
これまた行きたがらないデイサービスにたまたま気乗りして通所、入浴まで済ませた奇跡の1日があったのだ。
それ以来、一度も風呂もシャワーも使用していない。
にもかかわらず、どうしてか父は臭わない。
帰省する度、再会を喜ぶハグをしながら、ゼロ距離でフケや頭皮の臭い、肌のべたつきや体臭等をチェックしているのだが、多少よれよれした匂いはしても、フケが溜まっていたり、不潔な臭気を感じたことは未だにないのだ。

風呂に入らない代わりに、自分でこまめに体は拭いているのだが、それにしたって石鹸を使うでもなし、しかも足が悪くあまりかがめないので、膝より下は恐らくほぼ拭けてはいない。
私がいる間にと思い自宅での入浴を促しても、これも「人に会う用事ないからいいわ~」と、やわらか声ではっきりノーサンキュー。
今のところは父の清拭の力を信じ、膝から下は帰省時に足の爪を切る際、マッサージもかねてゆっくり拭いている。

「無入浴父臭くならない不思議」については、ケアマネさんも首を傾げている。
しかし、臭う臭わないは別としてやはり衛生上宜しくないので、せめて月1でも良いから入浴もしくはシャワーを浴びて欲しいのだが、通所での入浴介助も、訪問での入浴介助も、父は相変わらず断固拒否の構えだ。
こちらに関しては、引き続き要検討事項となっている。

さて、話を、我が右手に握られし黄ばみまくった下着に戻したい。

ヘルパーさんには洗濯支援もお願いしており、使用後父が直接洗濯槽、もしくは洗濯機横のカゴに入れた衣類等を、洗って干していただいている。
また、私も帰省時には必ず、父の体臭チェックの後続けて洗濯槽やカゴに腕を突っ込み顔を突っ込み、入っている洗濯待ちの下着類に黄色や茶色のシミがついていないか、きつい臭いがしていないかを確認してから、洗濯機を回している。

今回も、タンスを開けるより前に洗濯槽等の確認をしたのだが、特に問題がなかった。
父は、時折洗濯槽を食品の貯蔵庫としても使用するが、秘蔵の菓子パンも入ってはいなかった。
なので安心してしまっていたのだが、前回帰省した3月からの4ヶ月間に、脱いだ下着を洗濯槽ではなくタンスにダイレクトインという新しいパターンを、父は生み出したようだ。

洗濯については、正直少し気になることがあった。
毎月、ケアマネさんに日々の介護内容を記入いただいたレポートを頂戴しているのだが、少し前から洗濯支援の文字が出てこなくなっていたのだ。
7月の帰省時にお話を伺おうと思ってはいたのだが、どうもこの黄ばみまくった下着と関係がありそうだ。

そこで、ケアマネさんに、父のスキルに「タンス内での使用後下着の発酵」が追加されたこと、洗濯槽やカゴの中の洗濯物が少ないこと、レポートに洗濯支援の文字が最近出てこない理由を知りたいとお伝えしたところ、最近は父に洗濯の声がけをしても、「今日は結構です」「自分でやりました」と返され続けており、実際洗濯槽やカゴの中に入っている洗濯物の量も、数枚程度しかないとのことだった。

ということは。
これはまだあるな、父が溜めた発酵物が。
ケアマネさんと私の意見は一致し、私はまだ見つかっていない使用後下着の捜索に取りかかった。

今回発酵物が発見されたタンスの他の引き出し、部屋の隅にひっそり置いてある椅子に重ねられたクッションとクッションの間、すっかりハンガー掛けと化したルームランナーの、レーンの上に被されたタオルケットの下。
ルームランナーのバーに引っかけている綺麗な衣類達の間。

出てくる出てくる、3月にはなかった筈の黄ばんだ下着たち。
どれもこれも、気持ち良い位清々しく黄色い&臭い。
ケアマネさん、最近要洗濯の衣類が少なかった謎が解けましたよ!
ひとまず心の中でお伝えしながら、私は黄色い発酵物を片っ端からゴミ袋に突っ込んだ。
そして、救済可能な衣類についてはまとめて洗濯し、物干し竿に秩父横瀬川の鯉のぼりのごとく提げまくった。

いつか父も、尿や便で汚れてしまった下着をタンスに隠す日が来るかもしれない。
父の遠距離介護において、常に心の中で覚悟してきたつもりではいる。
その「いつか」が、ついに始まったのではないか。タンスを開けて臭気を察知した瞬間、その気持ちが万年鼻づまりの私をトリュフ豚にもさせた。
今回は汗と皮脂で済んだが、覚悟をしたつもりでいても、その時に遭遇したら、きっと私はショックを受けるだろう。
そして、それをタンスに隠す時の父の気持ちを思うとまたつらい。

それでも父は、生活の色んな場面をケアマネさんやヘルパーさんに助けていただきながら、本人の願う「死ぬまで在宅」を続けている。
遠距離介護の私にできることは、父の「死ぬまで在宅」希望を、現実問題と折り合いをつけつつ、できうる限りで最大限叶えられるようサポートすることだ。

改めて、父に何ができるのか考えていきたい。
すっかり乾いた物干し竿の鯉のぼりたちを、次会う時もその白さを忘れずにいてくれたまえと願いながら、タンスに仕舞った。

父とエアコンと私~賽の河原2021夏~

朝7時。今夏、実家のリビングに設置したスマートリモコンが、「室温26度以上でエアコンの冷房をオン」の信号を発したことを、スマホアプリにて確認。

朝8時。スマートリモコンの温度センサーで、実家の室温が27度を超えていることを確認し、父に電話。
「お父さん、エアコンの電源コード差さってますか?」
「抜いてある」
「あのね、エアコンは私が東京から、部屋が暑くなったら冷房つけて、涼しくなったり夜になったら自動で消えるように操作してるんだ。コードを抜くとそれができなくなっちゃうから、コード抜かないで欲しいの」
「分かった」
「このまま待ってるから、コード差し直してもらっても良いかな?」
父、エアコンのコードを差し直す。
「差したよ~」
「有難う。あと、電源コードの横に「コード抜かないでね!」って貼り紙貼ってあったしょ?」
「あるわ~全然見てないけど、ははは」
「うん、貼り紙読んでね。コードは差しっぱなしで良いからね、抜かないで欲しいの」
「分かった分かった、じゃあね~」
切電。

朝9時。室温下がらず、再び実家に電話。
「お父さん、エアコンの電源コード抜けてませんか?」
「抜いてある」
「あのね」以下略。

朝10時半。室温28度近くに上昇。
「お父さん、エアコン」以下略。

正午。室温以下略。

14時。以下略。

以降、夜20時にスマートリモコンが冷房オフの信号を発したとスマホアプリに通知が来るまで、延々と以下略。

「北海道の夏は涼しい」なんて、最近は遠い昔の話になりつつある。
私が子どもの頃は、日中は窓開けとうちわとたまに扇風機、夜に至っては「寒いから外套着ていきなさい」と言われるような環境だったが、ここ数年は最高気温30度を超える日も、珍しくなくなった。

我が家には、10年程前からエアコンが導入されている。
当時の地元としてはまだ珍しかったが、恐らく母がこれからの事を考えて、先手を打ったものと思われる。
しかしながら、折角我が家にお越しいただいたうるるさんもさららさんも、リビングでご活躍されている姿を今まで私は見たことがなかった。
吹き出し口から一度も顔を見せぬまま、10年塩漬けのうるるとさらら
どれだけ北海道の夏が暑くなろうと、母が入院しひとり暮らしとなった父に、未だに「窓開けうちわ扇風機」が染みついているせいだ。

最高気温30度超え、採光重視でやたらと窓が多い我が家は、太陽の恩恵をもろに受け見事に蒸し風呂。
南東の窓に背を向けて配置されたひとりがけソファは、父の定位置だ。
もう、約束された灼熱地獄。
にもかかわらず、彼の手持ちは未だに「窓開けうちわ扇風機」なのである。

当然、全く太刀打ちできていない。
窓を開けたところで入ってくるのは熱風、それをただいたずらにかき回すだけの扇風機、それよりは多少ましな気がするうちわにしたって、人力なのですぐに疲れて手が止まる。
おまけに、こちらがその場で手渡さない限り、なかなか自主的には水分摂取もしない。
特にエアコンは、今まで使っていなかったせいでリモコンの電源ボタンを入れること自体がもう「分からない」、おまけに差しっぱなしは「電気代がかかる」と、電源コードを抜きたがる。

こちらがどれだけ「今日とっても暑くなるって天気予報で言ってるよ」、「だからエアコンをつけて」、「お茶も飲んで」と言ったところで、「別に暑くない。平気だ」の一点張り。
しかし、アレクサのビデオ通話の画面に映る、Tシャツもズボンも脱ぎ捨てグンゼの肌着のみとなっている姿からは、全くもって大丈夫ではないことだけが、びんびんに伝わってくるのである。

どうにかしないと、父が干からびる。

昨年一昨年の猛暑厳しい夏に、相変わらずのヒノキの棒と鍋のフタで立ち向かった父は、食欲がてきめんに落ち目に見えて衰弱してしまった。
特に昨年は、なかなか帰省スケジュールが立てられない中夏の帰省が叶わず、私は気を揉みに揉んだ。
今利用している小多機では、初の夏となる。
ケアマネさんに昨年一昨年の様子をお話しし、1日数回のヘルパーさん訪問時に、暑ければ都度エアコンをつけてもらい、前回帰省時に冷蔵庫にしこたま補充してきた飲みきりサイズの紙パック飲料を、食事の際に添えてもらい、喉ごしの良い茶碗蒸しやゼリーなど、少しでも口に入れやすいものを父に出していただき、可能な限り熱中症リスクを減らせるようお願いした。

しかし、これでは根本の「部屋の暑さ」は解決しない。
何とかして、我が家のエアコンを稼働させ、部屋の中を涼しくしたい。
10年越しのうるるとさららに、活躍の場を提供したい。

そんなわけで、8月に帰省した際、リビングに温度センサー付きのスマートリモコンを取り付けてきた。

複数の家電のリモコンを集約し、アプリで一括操作できるという、QOL爆上がりな便利アイテム、スマートリモコン。
これを使って私の方でエアコンの制御ができれば、父の熱中症リスクを格段に減らすことができる。

そして、スマートリモコン導入後、父のQOL及び私の状況はどうなったかというと、冒頭の通りだ。

電源コードを巡る、お手本のような無限地獄。

そもそも、スマートリモコンは、制御したい家電の電気供給が絶たれていないことが大前提だ。
そこにきて、父の得意技は「止めたい家電は、電源コードを抜く」である。
冒頭の会話の中で、父が「分かった」筈の「エアコンは娘が遠方から操作しているから、コードを抜かない」は、切電後凄まじい速さで忘却の彼方。
そして気づけば、父としてはつけた覚えのないエアコンがついている。
消したいが操作が分からない。そうだ、電源コードを抜こう。
父としては、至って当然の結論だろう。

目下、我が家のスマートリモコンは、受け止め先のない信号をただひたすらに発し続ける、悲しき装置と化している。

切なさが凄い。

電源コードを抜いては差し、差しては抜き、抜くのも差すのも自分という、セルフ賽の河原状態の父。
実家の室温が分かるようになったことで、安心感と同時に「こんなに室温が上がっているのに、電源コードが抜かれているから冷房をつけられない」ジレンマとを手に入れた私。

何この、誰も幸せになっていない図。
連日、父父父父で埋まっている、我がスマホの発信履歴が怖すぎる。

今までも父は、レンジフードのお手入れサインの点滅が気になり、台所のブレーカーごと落とし冷蔵庫を終了させたり、電話機のコードが刺さっているタコ足の電源オンの点灯が気になり、タコ足を抜き電話を終了させたりしてきた。
父の、止めたい家電に対する行動意欲は凄まじい。

「電源コードを抜く、もしくはブレーカーを落とす」という最強の物理攻撃カードを持った父を前に、電気供給あっての便利グッズをどう活用していくか。
スマートリモコンに限らず、これは父の遠距離介護をする中での、私の重要課題でもある。

エアコン攻防については、今夏はもう来夏への踏み台として割り切っている。
ひたすら電話をかけまくり、エアコンは私が制御しているから、電源コードを抜かないで欲しいと日に何度も伝えることで、少しずつでも父の体に染みこみ、冷房がついている時間が今より長くなれば御の字だ。

父が快適に暮らせる環境を、私が遠方にいても安定的に提供できる状態を作り、かつ私も安心したい。
その一心で、私は今日も電話をかけまくる。

時計たちのニルヴァーナ

父の寝室に、時計が3つ。
全て、ベッドのすぐ横にある机の上に、眠る父を拝むような配置で、それぞれ少しずつ距離を空けながら横並びに置かれている。

デジタル時計もあればアナログ時計もある。そのうちのひとつは、小学生時代に私が愛用していたファンシーなキャラクターものだ。午後の陽射しに照らされて、鮮やかなグリーンが目にまぶしい。
正面をベッドに向けて配置された時計たち。さながら、涅槃に入ったお釈迦様の周りを取り囲む動物たちのようだ。
ただでさえ最近の父の寝顔は安らかで、見ていると不安になり、裂いたティッシュを鼻先に垂らして生存確認したくなる程だというのに、父の寝室における安らか度が更に増してしまっている。

各所各所にやたらめったら時計を置きたがった母の影響により、実家には時計が多い。
玄関フードのテーブルにひとつ、玄関の靴箱の上にひとつ。
居間の電話台の上にひとつ、少し離れて壁掛け、反対側の壁にもひとつ、棚の上には、中学生の頃私が自ら購入したドラえもんの大きな目覚まし時計。

この時計、時間になるとどんちゃかミュージックとともにドラえもんの声で「あっさでっすあっさでっすあっさでっすよっ!プー!(ラッパのような音)あっさでっすあっさでっすおっきまっしょう!プピー!!あっさでっすあっさでっす・・・」と起こしてくれる、たいそうにぎやかな一品だ。
途中で壊れ、ドラえもんの声が裏返ったりガガガガッという音が混ざったりとなかなかホラーな目覚めを促すようになり、怖くなって電池を引っこ抜いたまま長年私の部屋の隅で埃をかぶっていたのだが、沈黙の彼は母に救われ、明るい場所に安住の地を得た。

まだまだある。食器棚の上にひとつ、食卓の上にふたつ、台所の窓辺にひとつ、風呂場前の洗面所にひとつ、仏間とトイレには、それぞれ壁掛けと置時計ひとつずつ。

少し数えただけでも、この調子である。
母は、別段時間に厳しかったわけでも、一分一秒せっつかれて生きている人でもなかった。
ただ、とても心配性だったので、とにかくどこにいても時計が目に入り時間が分かることで、安心感を得ていたのではないかと思う。

そんな時計溢れる我が家が、母が入院した今どうなっているかなど、わざわざ書くまでもない。
もう墓場。
部屋のそこここで、それぞれ最期の時間で時を止めた時計たちが死んでいる。
メインで使用している時計以外のものが電池切れで動かなくなっても、父は電池交換をしない。
そもそも、「見よう」という気のないものは例え目の前に突き出されても意識の中に入っていかない人なので、いつも見る壁掛け時計以外は、存在自体ないものとなっている可能性も大いにある。

そして私も、父が見ていない時計の電池を替えるのもなぁと、手つかずできてしまった。

右見れば7時13分、左見れば21時51分、振り向けば15時・・・長針が外れており何分かは不明。
かすかに生きているものもあるが、こと切れる寸前で秒針が数秒に一度しか動かず、時刻が全く正確ではない。
死に絶えた時計たちと、今にも命の灯火が消えかかっている時計たち。
気にしだすと、これがなかなか精神的に良くない。家中時の動かない時計たちに包囲されていることが、シンプルに怖い。
あと、どの時刻が正しいんだか一瞬分からなくなるので、大変不便。

3月に帰省した際、そんな時計たちを少し片づけた。いっぺんに処分して、父が「時計がない時計がない」となっても困るので、今後も父の様子を見ながら少しずつ減らしていく予定だ。

さて、父の寝室の時計に話を戻したい。
3つもいらないのは明らかである。そもそも、12月に帰省した時には、時計はひとつも置いていなかったように思う。
ファンシー時計はともかく、他のふたつはどこから持ってきたんだろう。この家には、あとどの位眠っている時計があるのか・・・

しかも、よく見ると3つとも全部死んでいた。待って、涅槃入りしてるのは時計の方なの?
時計としての用をなしていない時計を、眠る己に向けて3つ配置しているその意図とは。何に使っているのですか父よ。

という訳で、机に置くのは、その内の一番きれいなデジタル時計ひとつに絞ることにした。
電池交換をすべくふたを開けると、2本必要な乾電池の内1本が抜かれている。
若干不思議に思いながら、私は新しい単三電池2本を装着し、時計を蘇生させた。

そして翌朝午前6時。父の寝室から聞こえてきたけたたましいアラーム音。
どうやら、機能復活した時計にはアラームが設定されていたようだ。
慌てて寝室に駆け寄ると、何が起こったのか分からない父が、半ば混乱しながら時計の電池を抜こうとしていたところだった。

これだわーーーーーー!!!
父を囲む時計が増えてたの、多分これだわーーーーーー!!!!!

父は、電化製品で何か気になることが起きた際、問題を見極めて対処するのではなく、電気供給を止めて元から絶つという、「全てなかったことに方式」を採用している。
お陰で、レンジフードのお手入れサインの点滅を消すために台所のブレーカーごと落とし、後日冷凍庫を開けたヘルパーさんが悲鳴を上げたり、電話のコードを繋いでいるタコ足の電源ランプが気になり、タコ足のコードをコンセントから抜き、音信不通になって私の胃がぎゅうぎゅう絞られたりする。
しかし、こういった問題について、ケアマネさんもヘルパーさんも都度迅速に対応して下さるので、実際的にも私のメンタル的にも助かっている。
本当に本当に、ケアマネさんヘルパーさんの存在は大きい。

改めて、昨日外した他の2つの時計を確かめたら、2つとも電池が入っていなかった。
恐らく、止まるなり不具合なり今回のような突然のアラームなりで、父が電池を外し、存在自体を意識から消し去ったのだろう。

寝ぼけてふにゃふにゃの声で「なん、なんこれ、どした??」とあわあわしている父から時計を受け取り、「ごめんね~昨日電池取り替えた時、変なとこ押しちゃったのかも」と言いながら、アラーム機能をオフ。
我が家の時計削減計画とともに、時計に限らず電池で動くものについては、まだ動いていても今後はこまめに電池を入れ替えていこうと、密かに誓った。

復活のテレビアンテナ

「テレビ映んないんだわ」
だから、ソファに寝っ転がって一日中雑誌を読んでいるのだと、電話口で父は朗らかに言った。

昨年の冬から春にかけての間に、我が家のテレビアンテナはボッキリ折れた。
12月に帰省した際、テレビはBSだけが生きていて、地上波は「受信感度が低い」かなにかで映らない状態だった。
その時はまだアンテナは折れてはおらず、家電量販店に一度見てみて欲しいと依頼をしたが、「雪あるから無理」と断られ、12月中の対応はできなかった。

その話をケアマネさんにしたところ、業者に直接電話する方が良いかもとアドバイスいただき、3月の帰省時に修理してもらうべくネットで地元の家電店や工事業者を調べたのだが、電話しては閉店、電話しては廃業……。
郊外にできた家電量販店の威力をひしひし感じながら心も折れかけていたところ、何件目かの電話で「うちはもう辞めちゃったけど」と、他の業者さんを教えていただき、様子を見に来てもらえることになった。

その後の父との電話の中で、なんだかBSすら映らなくなっているような雰囲気を感じつつ、3月に帰省した際アンテナを確認したところ、これ以上ないほど清々しく折れて壁にぶら下がっていた。
こりゃ映らんわ。これで映ったら、アンテナとはだわ。

まだまだ雪が残る3月、ぐるりと雪に包囲された家の壁に、ぐんにゃりぶら下がるアンテナ。
父に工事の対応はできないので、私が実家にいる間に済ませたいことは伝えていたが、そもそも、3月は引越シーズンでアンテナ工事業者さん的にも繁忙期だそうだ。地元が田舎過ぎて、引越について全く失念していた。
状況によっては、期間内には工事できないかもしれないと前置きされていたが、最終的には帰省中の1週間の内に、下見、見積もり、工事と、全てしてくださった。
「いやー、お年寄りから「テレビ映んないんだわ」っていうのが1番多いのさ。お年寄りの家でテレビ映んないと困るもね。」と、忙しい中急な工事をねじ込んでくださった業者さんには、感謝しかない。

そんな訳で、我が家のテレビは復活した。

筈だった。

ところが5月上旬、2ヶ月足らずで冒頭のそれである。

「テレビが映らない」というのは、電源は入るが画面が映らずエラー表示がされるのか、砂嵐なのか、電源自体がつかないのか。
地上波もBSも映らないのか。
普段は主電源を切らずリモコンで操作していたので、リモコンの電池は切れていないか、主電源を切っていないか、そもそも、何かあったらすぐ抜いてしまう電源コードはちゃんとささっているのか。

言い方を変え質問内容を変え、何度も何度も確認したが、毎度父の回答はおぼつかず、父の認識で言うところの「テレビが映らない」状態であることしか分からない。
どうやら、リモコンではなく主電源をオンオフしているがつかないということらしいが、それも結局確かではなく、実際の状況は分からない。

相手が主張する不具合について、具体的な情報がないまま対応しなければならない時ほど、もどかしいことはない。
正確な状況把握ができないと、有効な手段も見つけられないのだが、「なんか変」としか分からない相手の話を聞き取り、断片的な情報から現状を想像し、解決策を提案するまでの道のりの長さたるや半端ない。
その道のプロならともかく、そもそも実家のテレビについての記憶がおぼろげすぎる私では、ろくな対応もできない。

脳裏にふと蘇る、3月の修理の記憶。
ひとつだけ懸念事項があった。
アンテナの設置可能箇所が限られている我が家、業者さんが「大丈夫だとは思うけど、この設置場所だと雪でまた折れる可能性はあるかも」と言っていたのだ。

まさかまたボッキリいった?
決してお安くない万円かかったのに?
とにもかくにも、対処しようにも状況が分からないので、ヘルパーさんにお願いして、訪問の日にテレビの状態を教えていただくことにした。
最悪、再び諭吉くん達が景気良く飛んでいくかもしれぬ。諭吉くんって、飛んでく時ほんと景気良く飛び立つよねぇ。来る時は、めちゃくちゃもったいぶるのにねぇ。

そして迎えた、ヘルパーさんご訪問日。
結論から言って、テレビは壊れておらず、諭吉くん二度目の飛翔は免れた。

どうやら父は、テレビ本体の側面に並ぶ主電源やその他のボタンの内、主電源ではないボタンを一生懸命押していたらしい。
そら、つかんわな。
盲点過ぎた。そんなの全く思いつかなかった。

「テレビ無事でしたよ~コードもささってます!」というヘルパーさんからの電話の向こうで、「映ってるわ~」と嬉しそうな父の声が聞こえ、実情が分かるまでの数日間緊張し続けていた私は、安心とともに脱力した。

本当に、本当に、ヘルパーさんにも、ケアマネさんにも、日々お世話になりまくっている。
介護従事者さんの仕事柄、こちらも言葉と態度でしか感謝をお伝えできないが、認知症の父が実家で一人暮らしをしていられるのは、何から何までケアマネさんとヘルパーさんのお陰なので、本当に感謝している。

感謝の気持ちで北に向かって拝んだ約10日後、実家の電話が繋がらなくなった。
電話のコードと一緒に同じタコ足に繋いでいたルーターもオフになっており、アレクサも沈黙。

……抜いたな、コード………………

本当に申し訳ない…再び北に向かってお詫びしながら、ケアマネさんに電話をかけた。

次回帰省時には、コンセントとタコ足にカバーをつけよう。
私は心に強く誓った。

これはハンカチですか? はい、ハンカチです。

父と外出する際に、着替えや鞄、持ち物確認などの準備を、私は手伝わないことにしている。

認知症の父は、「鞄必要か?」「財布持ったか?」「保険証どこだ?」、「ハンカチ持ったか?」「財布あるか?」「鍵持ったか?」、「ハンカチどこだ?」「鞄提げてくか?」「財布にお金入ってるか?」等々、自分が納得するまで同じことを繰り返す。
当然時間はかかるのだが、父との外出で「何時までに行かないと!」という用件があまりないので、出発が遅くなろうと構わないし、何より、父の外出準備ルーティンを崩したくないのが、一番の理由だ。

父が今できていることを、私が先回りしてしまうことでやり方がわからなくなり、できなくなるというのは避けたい。
今父ができていることを、可能な限り継続していく為にサポートするのが、私の役目だと思っている。

なので、どれだけ時間がかかっても、同じ確認を何度繰り返しても、私は横で、
「財布どこだ?」
「どこだろ、探してみよっか」
「ハンカチ持ったか?」
「どうだろ、ポッケ触ってみたら?」
と、一緒に付き合う。
タンスの同じ引き出しを何度も開けては、ないなぁないなぁと手でかき回し続け、ああーっあと10センチ左を探せばお目当てのものがあるのですが父よー!惜しいー!となっている時には、そっと「も少し左側も探してみると良いかも~」と、伝えることもある。
「あったわ~」と満足げな父が可愛らしく、「やったね~」と微笑み返す。

父は、昔からとてもきちんとした人だ。
外出時には、綺麗な服に着替え、ズボンには(例えジャージでも)しっかりベルトを締め、必ず綺麗なハンカチをポケットに入れていく。
そのハンカチなのだが、一度使うと当然洗う。そして、洗った後彼らはどこかに消えていく。
私が帰省する度に、タンスの引き出しに仕舞ってあるハンカチが減っているのだ。

家主に選ばれた奴は、二度と戻ってこられない。
普段暗がりでひっそり身を寄せ合い暮らしている彼らを、突然地を揺らし天を割り奪っていく恐怖の手。ハンカチたちにしてみれば、たまったものではないだろう。
恐らく、洗った後父の手によりどこか別の場所に収納されているのだろうとは思うが、今のところ探し出せていない。
いかんせん、我が家は小物を仕舞う場所に溢れており、父は、こちらの予想を超えた場所にものを仕舞うのが得意だ。
行方知れずのハンカチが、いつか「ここなの!?」というところからごっそり出てくる予感はしているが、その日はまだ来る気配がない。

引き出しを開け、ガーゼのハンカチを「これはなんか違うなぁ」、ウン十年前からずっとそこにあったのではとおぼしき温泉旅館のタオルも「違うなぁ」と、お気に召す一枚をあれやこれやと物色していた父から、ついに出発オーケーの合図が出た。
「よし、ハンカチも持った、いいぞー」

準備万端の父が選んだ一枚は、大きめサイズで白地に赤いチェック柄の、柔らかい生地の未使用品。
用途的な分類をするならば、いわゆる台拭きに分けられるものだっだ。

一応、他に「ハンカチ」に分類されるものがないか確かめてみたが、台拭き、タオル、ガーゼのハンカチ(父的にアウト)以外、適当なものは見当たらない。
まぁいいか、吸水性に優れているハンディサイズの布という点では変わらないし、未使用品だし。

さて、出発である。
「あれ、財布持ったか?」

前進一旦止め!出発準備もうワンターン!
私はまた、鞄の中身を一つ一つ取り出して確認する父を、横でのんびり見守ることにした。

エゾリス父、その後。

 

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お金の保管場所について、父がエゾリスと化したことは以前書いた通りだ。

そんなエゾリス父、「会計時に小銭を出す」ことが大分難しくなっており、買い物の度に財布に小銭が貯まっていく。
そして、ある程度貯まると今度は財布から出して家の中に移すのだが、「扉もしくは蓋のついているところ」は、父にとって小銭置き場として不足なしと判断しうるようで、小銭の保管場所は、なかなか多岐にわたる。

テーブルの上の小物入れや電話台の引き出し、食器棚はもとより、炊飯器の中さえも、父にかかれば便利な貯金箱である。
さすがに釜は空だったようだが、炊いたご飯の中から出てきたら、それはそれでフェーブ的だ。

ちなみに、小銭を貯め続けるのは元々母の癖でもあり、そんなこんなで家に貯まり続けた小銭を前回帰省時に両替したら、3万円ほどになった。
塵も積もれば3万円。
同じ3万円ならば、腕がちぎれる重さの小銭より、諭吉3枚の方が遥かに良い。なんせ軽い。
家から車、車から金融機関の建物への小銭移動だけで、枯れ枝よりも枯れている四十路の腕には重すぎて、窓口で両替を申し出る時にはもう、へろへろの息切れ状態となってしまった。
車がなかったら、小銭問題は見ない振りをしていたと思う。いやー、車ほんと便利。有難い。

お札は冷蔵庫へ、小銭は炊飯器へ。
住居内における、お金の保管場所に対する一般的な解から自由になったエゾリス父は、本家本元のエゾリスさんに倣い、貯食にも余念がない。

例えば菓子パン。
普通ならば、室内の日が当たらず涼しい場所を選ぶかと思うが、エゾリス父の解答は洗濯機。
その内、洗濯機からも小銭が出てくるかもなんて思っていたら、どっこい出てきたのは菓子パン。
さすがの想定外。
父は、脱いだ衣服などを洗濯機の中に直接溜め、それをヘルパーさんが洗濯して下さるのだが、たまたまその日何らかの天啓を得て、回す前に詳細に点検して下さったところ、発見されたという。

虫の知らせ、第六感。ご経験から来るひらめきなのだろうか。
おったまげるヘルパーさんに、父は「よく見つけましたねぇ」と感心したという。
いやいやいや!埋めたの!!あなたですしね!!!完全他人事になってますけども!!!

例えば米の買い置き。
少し前から、父の米の消費やたらめったら早い問題が、私とケアマネさんとの間で持ち上がっていた。
米大好き父は、一度に3合ほどを炊く。
昼は配食だが元々昼をそんなには食べず、残りを夜にも食べる生活をしている。
にも関わらず、米の消費が早いのだ。
かといって、体重の増加も見られず、傷んだご飯が捨てられている様子もない。

米が少なくなると「米がない、米がない」と、父は不安になる。
米問題は、未だに解決を見ていないが、手っ取り早い手段として、ちょうど私が帰省する1週間ほど前に、ヘルパーさんが一度に5キロを2袋購入されていた。
消費も早いし、安かったので買い置きして下さったらしい。
その2袋目が、どこを探しても見当たらないのである。

いやいやいやいやさすがにあるでしょ、本気で1週間で5キロ消費していたとしたら、君どこ部屋よって話でしょ。
台所、風呂場、洗面所、居間、押入、勝手口のフード。そして以前、いただきもののそうめんが箱ごと出てきたクローゼット。
父が開けられそうな扉やケースは全て開けてみたが、全く見つからない。
因みに洗濯機も開けてみたが、入っていなかった。

えっ、本当に5キロの米が1週間で向かった先は父の胃袋?1日何回炊いてんの?君ほんとどこ部屋?
85歳驚異の新人。脳裏に浮かぶ、青空に映える国技館の屋根とのぼり旗。私史上、初めての推し力士爆誕

亜空間に消えた米。
もう、探せるところは探し尽くしたと思っていた。
そんな矢先の、祖母の月命日。
たまたま帰省のタイミングと重なり、20年振り位に私も一緒に手を合わせたのだが、その準備をする中で、米の袋はひょっこり出てきたのである。
仏壇を仕舞っている、扉の奥から。

炊かない、盛らない、ダイレクトお仏飯。
お供えする気持ちは溢れんばかりだが、いささか豪気過ぎやしないか、父よ。
因みに副産物として、賞味期限が5年前に切れたお供え用の団子も出てきたので、こちらはゴミ箱へダイレクトシュートした。

開封してある米が少なくなった時に、また「米がない」とならないよう、私は未開封の5キロを米びつの隣に移した。
これなら父も米をとぐ度に目にできるし、しばらくは安心するのではないか。

果たして翌日、食材や日用品の買い回りに出た午前中のほんの2時間程度の間に、またしても米袋は姿を消し、やっぱり仏壇を仕舞っている扉から出てきたのである。
エゾリス父のひらめきと行動力に、私は敗北を喫した。

米5キロは結局、父の目の届かないところの方が良いと判断し、父からは隠しつつ、ヘルパーさんには場所をお伝えした。
「もしここから消えていたら、多分仏壇が入っているところにあるので」と言い添えて。

エゾリス父により、実家はにわかに宝探し会場の様相だ。
どうせ埋めるなら、沢山の諭吉と非課税で交換できる大きな夢の券が良いなぁ。
時折何枚かの宝くじを購入しては、「当たったらどうしよう」と動揺して眠れなくなっていた現役世代の頃の父を思い出しながら、両替されて諭吉になった元小銭を、そっと父の財布に戻した。