認知症一人暮らし終了の父と遠距離介護の私

頑張りすぎない、周りのプロに頼る、自分を大切に、を忘れないようにしながら認知症一人暮らし父(要介護2)を遠距離介護中です。父のことは好きだけれど、時々背負い投げしたい時もある。でもやっぱり好き!後で読み返して笑うために書き溜めています。

気がつけば年末、蝶番はひっそりとその役目を終えた。

日課である父へのモーニングコールをしたら、ちょうどヘルパーさんが来て下さって、朝ごはんを食べ終えたところだった。
「電話鳴った途端にね、ヘルパーさんが「あっ娘さんだ」って言ったわ~」と、電話口から父の朗らかな声が聞こえ、今年をお互いの笑い声で締めくくれることが嬉しい。

昨年に引き続き、今年も世間の状況に翻弄され、介護帰省のスケジュールが土壇場で変更になったり、滞在中も緊張感がずっと続いたりしていたけれど、なんとか乗り切った。
頑張った、と思いたい。

そんな状況でも、86歳認知症独居の父が一人で生活できているのは、ケアマネさんとヘルパーさんの支援あってこそだ。
帰省の予定が飛んでしまい気を揉んでいる時も、「不安なことがあったら教えてください。代わりにできることはやりますから!」と親身になって下さり、本当に本当に感謝してもしきれない。

あと、おかげさまでようやく父に「外出時はマスク」が浸透した。
忘れるけれど習慣化するって面白いなぁと、父を見ながら思いつつ、この調子で入浴とデイサービスも習慣化してくれないだろうか。

父が「入浴からの解放」を宣言して、あと少しで1年が経つ。
まじか。
この1年、幾度となく私もケアマネさんもヘルパーさんも、父の入浴チャレンジを行っては挫折、行っては挫折。
元来の風呂嫌い、意志がかっちかち。凄い。
面倒くさいのもあるけれど、裸を人様(私含む)に見られるのが恥ずかしい気持ちも強いので、なかなか難しい。
恥ずかしい気持ちは私も十二分に分かるので、清潔さは保って欲しいが、父の気持ちにも配慮したい。

でもね、せめてパンツは取り替えて、父よ。

10年位前に読んだ森見登美彦さんの小説で、願いが叶うまでパンツを替えない大学生が「てきめんに病気になりました」と言うシーンの衝撃が未だ抜けず、「パンツはこまめに替えなければならない」という強迫観念が、私にはある。
普通に生活をしていたら、基本こまめに穿き替えるものだけれど、父がどの位の頻度で下着類を替えているのか、ちょっと謎なのだ。
ヘルパーさんに洗濯支援もお願いしているが、今年後半辺りから「洗濯するべきものが所定の位置(洗濯槽、あるいはその隣の洗濯カゴ)にない状態」が続いている。
洗濯物は所定の位置に、を忘れた父により、タンスからこの世のものとは思えぬ臭気と黄ばみを蓄えた、発酵界の王者みたいな下着が発見されたこともあるが、12月の帰省時にはそれも発見できなかった。
本当にパンツ、パンツの穿き替え大事だから父よ!!!!

今年は、今まで訪問と通所ばらばらだった介護事業所を、小規模多機能の事業所に一本化した年でもあった。
介護サービス費は跳ね上がったが、結果的には良い選択だったと思っている。

今まで訪問は1日1~2回週3日程度、デイには全く通えなくなっていたのが、1日2~3回週6日、相変わらずデイには通えていないけれど、ケアマネさんもヘルパーさんも看護師さんも、チームで父を支えて下さっているのが分かる。

また、頻繁に訪問して下さるので、機嫌の悪い日には「来る度にお金がかかるんでしょう!」「そうやって老人から巻き上げて!」と、憤慨して拒否することもあった父も、1年かけて受け入れ体制ができたようだ。
最近はヘルパーさんの訪問が楽しみなようで、ヘルパーさんから「来てくれて嬉しいと言われましたよ~」というお話を聞くと、私も嬉しい。
反面、それだけその他の時間は1人で寂しい気持ちが増してきているのかなとも思うので、私もできる限りアレクサで父とビデオ通話をしていきたい。

つらつらと今年1年を振り返りながら書きつつ、先程ヘルパーさんから「台所の棚の蝶番が外れました」と、ご連絡をいただいた。
家も父同様に年を取っていくものだから、なにかしら起こるよね。
そういえば、12月の帰省時にふと玄関の上の方を見たら、壁紙はがれててたまげたもの。
直そうと思って忘れていたことを、今思い出した。
扉ごと外れる心配はなさそうとの事だったので、次の帰省時までにDIYスキルを身につけなければ。

そんな今年最後の日。

皆さん、本当に1年間お疲れ様でした。
また来年も、本人の希望である自宅での生活を、少しでも気持ち良く一日でも長く続けてもらえるよう、かつ私自身無理しすぎず、父とのゆるゆる楽しい時間をつくっていければ嬉しいです。