認知症一人暮らし終了の父と遠距離介護の私

頑張りすぎない、周りのプロに頼る、自分を大切に、を忘れないようにしながら認知症一人暮らし父(要介護2)を遠距離介護中です。父のことは好きだけれど、時々背負い投げしたい時もある。でもやっぱり好き!後で読み返して笑うために書き溜めています。

娘で妻で妹で他人。

朝、父とアレクサでビデオ通話をした。
ベッドに寝転がって新聞を読む父に、「お父さーん」と呼びかけると、画面に映った私の顔を見て驚き、次いで「おお~!」と嬉しそうに答えてくれる。
ビデオ通話の開始は、大体いつもこんな感じだ。

父は、毎度儀式のごとく同じ会話を繰り返す。
「ここがどこだかわからんもんね」
「母さんどこいるんだ」

「家に今ひといないのか」
「俺いくつになったんだ」

「きょうだいはまだ生きてるんだっけ」
「ここどこだ」
「母さんはどこにいるのさ」
以下気が済むまでエンドレス。
四六時中一緒にいて質問シャワーを浴びているわけではないし、私もどちらかというと同じ事の繰り返しに安心を覚える性質なので、父からの同じ質問ループは大して苦ではない。
話している内に、父の思い出話につながっていくこともあって、父の昔話が好きな身としては聞いていて楽しい。

そんなこんなで、今回も3つ下の妹さんとの思い出話を楽しそうにしてくれた父から最後に一言。

「ところで、お前俺の3つ下だと今いくつさ?」

おっとお父様、私を下の妹さんだと思っていらっしゃる。
あなた88歳ですから、そうすると画面に映るわたくし85歳。美とは言わんが、魔女過ぎんか。
「やーお父さん、私は妹じゃないですね~この顔85歳には見えないでしょ~」
「そしたらあんた誰よ」
「私はね、あなたの娘の〇〇ですね」
「娘なの!そうかい!俺の子ども○○と△△といるわ」
「その○○ですね~」

父の認知症の症状は、ここ1、2年で進行した。
今自分がいる場所が分からない。家の住所が分からない。家族や親族の名前や関係性が分からない。
最初はたまに、その内少しずつ回数が増えた。話している内に段々わかってくることもあるが、分からないままで終わることもある。

私のことは、娘だったり、妻だったり、妹だったり、はたまた知らない誰かだったりする。
認知症とはそういうものだと思っているので、初めて娘ではない誰かだと思われた時も、そこまでショックではなかった気がする。
いや、娘ではない誰かだと思われている度に、多分それなりにじんわりダメージを受けているような気もするのだけれど、そのダメージが心の芯まで届いてしまわないのは、おそらく、父本人が「私が娘だと分からなかったこと」に対して割とあっけらかんとしているからだと思う。
父に娘だと認識されなくなることについては、やはりすぱっと割り切れるものではない。
それでも、
「娘か~、忘れちゃってもうどもならんね~」
「あはは~」
と二人して笑い飛ばせるおかげで、私も真正面から衝撃を受けずに、まあそういうもんだしねと思うことができている。

それよりも凄いと思うのが、私が娘や妻や妹ではなく「知らない誰か」の時も、父はにこにこフレンドリーで優しく、いつもと変わらない話おもしろおじいちゃんなことだ。
父は、相手によって態度を変えない。
私にも、ヘルパーさんにも、ケアマネさんにも、他の利用者の方にも、いつも丁寧な言葉遣いと態度、かつ隙あらばおちゃらけようとする。
いつも、今いる施設に対して「ここの人みんな親切で良い所だ」と感謝しているし、父の思い出話もお世話になった人たちへの感謝であふれている。
こういう父の人間性が、私は好きだ。

なので、まあ実年齢+43歳されたことは、今回は水に流そうと思う。
割りと根に持つタイプの娘より。