認知症一人暮らし終了の父と遠距離介護の私

頑張りすぎない、周りのプロに頼る、自分を大切に、を忘れないようにしながら認知症一人暮らし父(要介護2)を遠距離介護中です。父のことは好きだけれど、時々背負い投げしたい時もある。でもやっぱり好き!後で読み返して笑うために書き溜めています。

ぱっぱっぱーのぱー

先日、父は88歳になった。
仕事の都合で誕生日ジャストにはなかなか会えないが、その近辺で帰省し父に直接おめでとうを言うのが、私の年間スケジュールの1つになっている。

88歳、米寿である。
帰省初日、もうすぐ夕方という時刻に家に着き、玄関の郵便受けに入っていた「米寿のお祝い金渡しに来たけどいなかったから持ち帰るわこれ見たら連絡して」(要約)という役所からの書類を見つけ、即座に電話、閉庁前の役所に滑り込み表彰状と金一封を受け取り、そのまま父の施設に向かった。
ちなみに、後日保険会社からも「お祝い金振込んだよ米寿おめでとう」お手紙が来た。
節目の歳だとそんなイベントがあるんだなぁ、知らなかった。

さて、2ヶ月ぶりの父に、早速お祝い。
「お父さん、〇月〇日誕生日でしたね」
「今日何日さ、は~そうかい誕生日過ぎたね、いくつになったのさ82位か?」
「88歳になりましたよ、米寿だよお父さん」
ここで父、開いた両手をそれぞれ顔の左右に持ってきて、おちゃらけ顔で一言。
「米寿でない、ぱーぱーだ」

「俺が良いのは首から下さ、首から上はだめ~」
「もうね~ぼけぼけぼけ老人だわ~」
「記憶にありまっせ~ん」
など、自身の状態を「認知症」として認識しているのかはさておき、少なくとも覚えていられない自分について自覚している父には、いくつか持ちネタがある。
高卒で働き始め、決して美形の部類ではない父の言う「首から上」には、物忘れ以外にも偏差値と顔の造形の意味も込められているが、祖母とまだ幼かった叔父叔母を養うために働きながら勉強して資格を取り、母曰く「可愛い目をしている」父を私は好ましく思っているので、首から上がだめだとは全く思わないのだけれども。

それにしても、よくもまあこの一瞬で、88歳と父言うところの「ぼけ老人」の状態をかけた一言を思いつくもんだと感心する。
父は常日頃から冗談が好きでしょうもないことをよく言うのだけれど、そういう時のいたずら少年のような顔になった父を見るのが、私は好きだ。
子どもの頃もこんな感じでおちゃらけて家族を笑わせていたんだろうなと思う。
本人が全く湿らずあっけらかんと笑って言うので、私も「ぱーぱーかい」と気兼ねなく笑わせてもらった。

翌日は、午後から父と私とヘルパーさんでの外出予定があったので、せっかくだからとご提案いただき、いつも行っていた回転寿司屋さんでお寿司ランチをしてきた。
今年の1月末に父が実家を離れてから、もう一緒にお寿司を食べに行くことはないんだろうなと思っていたので、大好きなお寿司を食べている父をまた見られたのは、本当に嬉しかった。
役所からのお祝い金は、お寿司代として有難く使わせていただいた。

来年は89歳、ついに90歳に王手がかかる。
来年の父に何を言われるか、今からちょっと楽しみにしている。