認知症一人暮らし終了の父と遠距離介護の私

頑張りすぎない、周りのプロに頼る、自分を大切に、を忘れないようにしながら認知症一人暮らし父(要介護2)を遠距離介護中です。父のことは好きだけれど、時々背負い投げしたい時もある。でもやっぱり好き!後で読み返して笑うために書き溜めています。

ビバビバノンノンビバノンノン

父は、風呂が嫌いだ。

母が自宅にいた頃はしょっちゅう入浴をせっつかれていたのだが、その母が入院してからは「入らなくても死なない」論を掲げ、ケアマネさん、ヘルパーさん、私があれやこれや画策する風呂に入ろう作戦は、毎度無残に撃破されていた。
入浴の代わりに毎日体を拭いてはいるようだし、頭皮も体も匂わず、髪にフケや汚れが目立つということもない。シャツやパンツの下着類も、気になる程汚れている訳でもない。
父の手が届く範囲での清拭で、どの位清潔さが保たれているのかは分からないけれど、単純な面倒くささ、よそ様に裸を見せる恥ずかしさ、誰かに洗ってもらう申し訳なさなど、父の入浴拒否からにじむ気持ちも理解していたので、私としても無理強いする気はなかった。

そんなこんなで風呂に入らぬまま日々は過ぎ、2021年1月頭、拒否が続いていたデイサービスにたまたま参加した上に気まぐれ入浴をした奇跡の日以降、再び脱風呂を貫き続けること1年と半年強の2022年7月下旬。
2、3ヶ月に一度帰省する度、風呂の提案はするけれども当然のごとく断られるので、お湯を張った大きなたらいに父の足を浸け、膝から下、特に指の股や爪と指先の間を念入りに洗った後、爪切りを行うのが常になっていた。
今回の帰省も、風呂のお誘いは失敗するものと思っていたのだけれど、なぜかその日の父は、雑談からのお風呂どう?に、「入るか~」と答えたのである。

じゃあ足浴のたらい用意…えっなんて?風呂?ふ、えっ、ほんとに???
すっかりいつもの調子で足浴テンションだった私は軽くパニックになりながら、このチャンス逃してなるものかと「よし入ろう!わ~入ろう!背中流させて~」とわたわた父を風呂場に連れて行った。
とは言っても、浴槽に浸かってもらうのは難しく全身を洗うに留まったのだけれども、そもそも洗浄料で体を洗うこと自体久しくできていなかったので、大進歩だ。

あと2ヶ月で42歳となる2022年7月、ついに私は初めて父の背中を流した。
割と体格が良い父が座っただけでもう洗い場は満員で、開け放ったドアに背中を向ける父の後ろからTシャツ足裾まくりの私、お湯をかけ、洗浄料を泡立てたタオルで背中、左右の側面を洗い、剥がれ落ちた垢を一旦シャワーで流し、タオルを洗い、また背中と側面を擦り、父が飽きぬよう延々雑談をし続け、浴槽に移動して前面を洗い、流し、再び洗う。
こちとら人の体洗い素人、入浴介助を前提にしていない狭い風呂場で人一人丸ごと洗うのがあんなに大変だとは、思っていなかった。
いや、大変だろうなとは思っていたけれど、具体的にどの程度大変なのか身をもって知った。
全身洗い終わりぴかぴかの父の後ろで、娘、汗とお湯で顔も服もどろどろ。素人風呂介助、アンド夏、アンド部屋のクーラー壊れてる。というか、壊れてなくてもそもそも位置的に風呂場まで冷風は届かない。もう待ったなしどろどろ。
達成感も凄いが、ほぼ42歳筋肉なしの体には疲労も凄かった。
でも、父の背中を流すのは存外楽しく、ご機嫌で風呂を楽しんでくれた父の姿も嬉しかった。親孝行したい欲を、父に叶えてもらった気分だった。

そして今、自宅を離れ小多機の泊りにお世話になっている父は、あっさり脱風呂を取り下げ、毎度の入浴もしっかり堪能しているという。こどもの日には、菖蒲湯に浸かったらしい。奇跡的転換。やはりプロの方は凄い。

あの一回こっきりで、きっと私はもう父の背中を流すことはないのだろうなぁと思う。
たどたどしくはあったけれども、楽しい時間だった。
また機会が来た時は、父とわいわいおしゃべりしながらえっちらおっちら洗いたい。