認知症一人暮らし終了の父と遠距離介護の私

頑張りすぎない、周りのプロに頼る、自分を大切に、を忘れないようにしながら認知症一人暮らし父(要介護2)を遠距離介護中です。父のことは好きだけれど、時々背負い投げしたい時もある。でもやっぱり好き!後で読み返して笑うために書き溜めています。

紙パンツ、さるのおやつ、ふりかけ、あるいは父の愛。

大変、大変お久しぶりです。
お久しぶりの間に何があったか簡単に書きますと、今年1月、たまたま私の帰省中に父が転倒し、それ自体は擦り傷程度で済んだのですが、倒れたままなかなか起き上がれず固まってしまった父をえっちらおっちら抱き起しながら、『ついに来た、ここが潮時』と思いました。
という訳で、父はついに実家を離れ、新しいステージに入っております。

幸い頭は打たなかったのですが、病院に行く流れの中で、「今日は念のため入院します(嘘)」からの、そのまま小多機の泊りに移行。
父の中でも「転んだので、念のため病院で検査&入院」というのは納得感があったようで、なら仕方ないよね~のノリで、すんなり進みました。
「施設断固拒否、死ぬまで自宅、“いざ”が来たらその時は考える、でもやっぱり死ぬまで自宅」を貫き続ける父の今後をどうしたものか、延々ケアマネさんと悩み続けながら、毎日ヘルパーさんに来ていただいて本人希望の在宅を続けてきましたが、その“いざ”の場面で、こんなにあっさり物事が進むとは。
終の棲家にはできない所なので、この先父が最期までお世話になれる施設を探しながらにはなりますが、一旦落ち着いています。

少多機の泊りなのでスタッフさん達も今までと変わらず、おかげで父も早々に馴染んで、「ここの人みんな親切だし、仲間も楽しいし、ごはんおいしいし」とにこにこです。
父が楽しく過ごしていてくれることが嬉しく、また馴染みのスタッフさんが常にいてくださる環境なのが心強くて、私も安心です。

とこんな感じで、環境が大きく変わりました。
既に何度か帰省して父に会いに行っているのですが、会いに行く度、父の「せっかく遠いとこ来てくれたんだから何かあげたい」が発動します。
感謝を金品で返したいタイプの老人である父、私としては『しゃぼん玉』のスマおばあちゃんのように、手をぎゅっと握って「ありがとう、本当に」と言ってくれるだけで十分なのだけれども、何かあげるもの~と、棚やらカバンやらがさごそする姿もかわいいので、本人の良いようにしてもらっています。

さて、カバンから取り出した財布を私に渡し、「いくら入ってる?」とお目目キラキラで問うたは良いが、開けてみたらば50円玉が1枚。
そうね、ブラックホールに吸い込まれているのではと思うほど完璧になくしてしまうから、お金を直接父に渡すことはなくなったもんね、入ってないわな。
「なーにさー」とあきれて笑いながら更にカバンの中を探り、取り出した白く四角いものを「これなにさ」と広げてみたらば、紙パンツ(未使用)。
肩掛けカバンの中から、白さ輝くむき出しの紙パンツ。
「なんでこんなところに」と笑いながら、父はその紙パンツをくれました。くれるんだ。

またとある日は、サイドチェストの引き出しを開けて、「さるのおやつ」と書かれた薄茶色い固形物が入った箱とふりかけの袋をくれました。
父は覚えていませんでしたが、先日利用者のみなさんとサル山に行ったらしい。ふりかけは、いつのごはんだったのかなこれ。
さるのおやつは、万が一父が勘違いして口にするといけないので引き受けて、ふりかけは「今度使いなよ」と断ったのですが、「いいから持っていきなさい!」と何かあげたい気持ち強めの圧で言われたので、もらってきました、梅味。

父の何かあげたい気持ち自体が私は嬉しいのだけれど、毎回自分でも何か分からんものを渡してくる辺りが、適当で好きです。分からんけど、何かしら良いものなのだろうと思って渡してくれている。その気持ちは多分、父の愛なのだろうと思うのです。
であるならば、喜んでいただきましょう紙パンツでもさるのおやつでも。

また来月帰省しますが、今度は何が出てくるのかな。
ちょっと楽しみです。