認知症一人暮らし終了の父と遠距離介護の私

頑張りすぎない、周りのプロに頼る、自分を大切に、を忘れないようにしながら認知症一人暮らし父(要介護2)を遠距離介護中です。父のことは好きだけれど、時々背負い投げしたい時もある。でもやっぱり好き!後で読み返して笑うために書き溜めています。

おとうさんスイッチへの憧れと猛省。

おとうさんスイッチをご存じでしょうか。
某テレビ番組の、あれ。お父さんを自分の思うように動かすボタンのついた装置。

例えば通院。
認知症の薬や骨を強くする薬など、いくつか服薬しているものの、おかげさまで内臓的には健康体で本人もそれを自慢にしているため、病院に行こうと言っても、
「誰の?」
「お父さんの」
「俺?必要ないよ」
「あるよ、お父さん病院行って薬もらってるんだよ、だから病院行こう」
「誰の?」
「お父さんの」
「俺?必要ないよ」
問答が、以下エンドレスリピートになる時。

例えば風呂。
生来風呂嫌いで、できる限り入浴を避けようとし、今冬水道管が凍結した際、真っ先に風呂場の元栓を締め声高らかに「風呂には入らん」宣言をした時。

例えば散髪と髭剃り。
外に出ないからという理由で髪も切らず髭も剃らず、アレクサに映る父の姿が、「なつぞら」の草刈正雄さんさながらのワイルドダンディになっている時。

その他にも、回転寿司を食べに行き、順番待ちの自分の番号が分からず、誰かの番号が呼ばれる度に立ち上がり歩き出す父を止め続けている時。
ガリを皿に盛り終わった後のトングを舐めようとした時。
床屋で順番待ち中、
「ほらこんなに髭伸びたよー」(マスク外す)
「そうだね、お父さんマスク取らないで」
「ほらこんなに髭伸びたよー」(マスク外す)
「本当だね、マスク取らないで」
「ほらこんなに髭伸びたよー」(マスク外す)
「うん、マスクつけて」
を延々と繰り返している時、などなど些細なことを挙げていったらキリがない。

周りの状況と自分の取るべき行動が分からなくなった父の対応をする中で、伝わらず、理解されず、ままならず、『カモンおとうさんスイッチ----!!!』と、脳内で叫びまくる機会は多い。

風呂は、入らない代わりにこまめに体は拭いており、帰省の度父の体臭チェックをしているが臭ったことはないので、デイサービスでも毎回声がけはしていただきつつ今のところ様子見している。
寿司の順番待ちは、誰かが呼ばれる度そわそわする父に先んじて、「お父さん何ネタ食べたい?」と、何とか気をそらさんと話かけ続けた。
ガリのトングは、びっくりしすぎて強めの口調で止めてしまい、少し自己嫌悪に陥り、何が悪いのか理解できずきょとんとしている父の姿を見て、また落ち込んだ。
髭をたくわえた父の姿は新鮮で、割と悪くないと思ってしまっている自分がいる。どうしても、私の目に父の容姿は好ましく映る。

通院と服薬が目下の懸案事項だったのだが、先日ついに困ったことが起きた。
「転倒し左手を負傷、大分腫れているが本人は病院での診察を断固拒否している」と、お世話になっている介護事業所から連絡が入ったのだ。
本人が痛がっておらず、また夕方だったこともありその日の受診は断念、明日また左手の様子を見て声はかけるが……とのこと。
骨折していたら大変だし、していなくても診察と治療は受けて欲しい。しかし、きっと明日も父は受診を断るだろう。
どうしようかと思い悩んでいる時に、父は「俺は医者でないから」という理由で、医者には従順になることを思い出した。

そこで、「父には私から、『病院の先生が左手の怪我を診るから病院に来てと行っている。明日〇時に病院の人が家まで迎えに来てくれる』と伝えるので、ヘルパーさんとしてではなく病院の人として、父を迎えに行って欲しい」とお願いした。
この方法は大当たりし父は無事受診、その後も「病院の人が〇時に迎えに来る」で、スムーズに通院できている。
そして、毎度父は「病院は今そんなサービスまでしてるのか、すごいねぇ」と感心している。

「髪切った方が良いんじゃない?」、「髭剃るともっと紳士になって素敵だよ」は効果がなかった床屋にも応用し、「床屋さんに予約してあるから、今から準備して行こう」で無事さっぱり。

討ち死にした数々のトライ&エラーの屍の上で、父には「提案型」ではなく「決定事項」として伝えるのが効果的であることが判明したのは、私にとって光明だった。
父の遠距離介護をするようになって約5年。
幸い認知症の進行は、着実だがゆっくりでもあるので、私はまだ介護の苦労のほんの爪先にも触れていない自覚はある。
それでも、それなりの苦悩苦労心配不安、先の見えない遠距離介護の中で、この経験は私に自信をつけさせた。

そして、「ついにおとうさんスイッチたる魔法の言葉を手に入れた」という傲慢さも。

父の住む自治体では、地域ぐるみの高齢者見守り体制のひとつとして、高齢者に、この先自分が医療や介護サービス等を受ける際「どういう対応をされたいか、どういう対応をされたくないか」等を記入してもらう書面がある。
そこに父は「人間性を尊重して欲しい」と書いていた。
それをふと思い出し、成功体験により「こう言えば父を上手く動かせる」と思い上がっていた私は、冷や水を浴びせられた思いがした。

介護者たる私のすべきことは、「父の身の回りの問題点をなくす、または軽減するために、父に行動を促す」ことであり、言い方の工夫はそのためにあるものであって、「父を自分の思うとおりに動かす」ためではない。

例え判断力が落ち、自分にとって有意義なことに対しても行動を起こせなかったり、こちらが驚くようなことをしてしまったとしても、父は赤子ではない。
いつも家族を第一に考えて85年間生きてきた、一人の尊敬すべき人なのだ。

自分が正しいと思い込まない。
父に対して、小さな子どもに言い含めるような言い方をしない。
父の人間性をないがしろにしない。
父と接する中で、大切にしたいと心掛けてきたことだったのに、自ら破りかけていた。
これはいかん、と猛反省した。

私は父を大切にしたい。
私が生まれてから今まで、私の人間性を重んじて育ててくれた父のように、父に接したいと思っている。
今一度、そのことをしっかりと心に据えて、父と向かい合わなければ。

父と私と、お互いが穏やかに笑っていられる時間を少しでも延ばせるような介護がしたいと思う。
そのために私に必要なのは、おとうさんスイッチではないのだ。

追記
最近、ついにデイサービスで初入浴、さっぱりしたと本人ご満悦との報告を受け、嬉しさに小躍りしました。
歴戦のヘルパーさんの経験値に、改めて敬意。