認知症一人暮らし終了の父と遠距離介護の私

頑張りすぎない、周りのプロに頼る、自分を大切に、を忘れないようにしながら認知症一人暮らし父(要介護2)を遠距離介護中です。父のことは好きだけれど、時々背負い投げしたい時もある。でもやっぱり好き!後で読み返して笑うために書き溜めています。

カップ麺への敗北と救済

シンクに置かれたカップ麺の空き容器により、私は己にかけていた「頑張って料理を作らねば」の呪縛から解き放たれた。

介護帰省中、朝6時に起床して、朝食と父用の昼食を作り、朝食後はゴミ捨て掃除洗濯などをこなし、出かける直前、食卓に昼食をセット。父に「午後まで出かけます。お昼作ってあるから食べてね」と声がけの上メモを残して、ばたばたとケアマネさんとの面談に向かう。
面談ののち、銀行、日用品の買い出しなどに奔走し、へろへろと帰宅した午後2時。
シンクには、カップ麺の空容器がぽつりと置かれていた。

食卓に置いてきた父の昼食は見当たらない。
恐る恐る冷蔵庫を開けると、そこには食べてもらうはずの昼食が丸ごと鎮座していた。

 せっかく作ったのに君ィーーー!!
よりによってカップ麺とか君ィィィーーーーー!!!「昼は元々そんな食べないから軽くていい」とか言いながらカップ麺て!
「夜はコースだからランチは軽め」って、バターたっぷりのクロワッサンとカフェラテの投稿写真を見た時と同じ気持ちよ今!
カロリーも油脂分も高い食事の何をもって軽めなのか!?重量ですか!?クロワッサンとカフェラテはともかく、あなたの食べたカップ麺普通にしっかりサイズよ!?軽めとは!?!?

瞬間、私の心の活火山が盛大に火を噴いた。

 全く料理ができない父の普段の食生活は、昼は週6で配食サービス、その他は日持ちするレトルトや缶詰、パックの惣菜、食肉加工品類がどうしても多くなる。ヘルパーさんが、毎週野菜や肉などを購入し調理してくれてはいるが、母がいた頃のように作り置きの一切ない毎日3食常に違う手作りメニューが食卓に並ぶ生活は、もうできない。
せめて、自分がいる間だけでも父に健康的な食事をして欲しくて、3食バランス良くなおかつ野菜が沢山摂れるメニューをと、短い帰省期間中にやらねばならない複数事項に追われながら、私は台所に立ち続けてきた。

親の心子知らずと言うが、料理してくれる人の心食べる側知らずである。
料理をしない父には、食事が食卓に並ぶまでの手順、及びそれにかかる時間や手前が、全く分からない。
せいぜい、「冷蔵庫から食材を取り出して加熱などする→できあがり」位の認識だろう。

それは調理であって、料理の全てではない。
調理は、料理の中の一作業に過ぎない。
チラシで特価品の確認、スーパーに赴き旬で安い食材を探し、どれとどれの組み合わせでどんな料理が何品何食分作れるのか、向こう数日間の朝昼晩メニューも考えながら買い物、購入した食材は、キャベツは芯をくり抜き水気を絞ったキッチンペーパーで包む、もやしはひたひたの水に浸けるなどそれぞれ保存に適した状態にし、晩に焼く魚の切り身には、振り塩で下準備エトセトラエトセトラ…。
調理にしたって、皮を剥いたり切ったり、食材を調理に適した形にしないと、そもそも作るものも作れない。

 そういう様々な工程を経て出来上がった本日の昼食、カップ麺より価値なし。

 そもそも、私は料理が得意ではない。恐らく、腕前は平均点も行かないと思われる。
自ら作らなくても食事が出てくるなら、私だってそれに甘んじたい。こんなに楽なことはない。
それでも、魚好きな父のため初めて鰯を捌きぼろぼろにし、鮭を骨取りしてこれまたぼろぼろにし、ふにょふにょのカレイの腹へ包丁を入れるのに四苦八苦し、味つけも同じものが続かないよう気を配ってきた。
そして、私は自身の都合により食べられるものが限定されているため、毎食父と私別メニューの用意が必要なのだ。

そんな中での、カップ麺に敗北事件である。
くそう父め、私の労力も知らないでまったく父のやつめ。
「何食べたい?」と聞くと毎度毎度「何でもいい」しか言わないくせに。何でもいいが一番困るんだわ、メニュー選びからしないとならんのだから。
その日、私は早々にふて寝した。

 そして、思い出したのだ。
少し前までは、毎週入院中の母の見舞いついでにスーパーに寄り好きなものを購入していたが、それもなくなり自分で食品を購入するという機会を失った父が、「食べたいもの食べられないしょ」と漏らしていたことを。
父は昔からカップ麺が好きだった。認知症になる前母が元気だった頃も、正午ちょうどに外出先から帰ってきた母に「え~カップ麺にしちゃったの?お昼作るねって言ったしょー!」とがっかりされている場面を、何度も見たことがあった。

3食自炊の私自身、家に帰れば作り置きのおかずが冷蔵庫にあることを知っていても、仕事上がり突然とんかつの口になり、食べに行くことだってある。
どこにでも行ける私は、いつでも自分の食べたいものを選ぶことができるが、父にはそれができない。
その日の昼、父が「今食べたいもの」は、私の作った昼食ではなく、カップ麺だった。
ただ、それだけのことだ。
シンクに置かれたカップ麺の空容器は、父の不自由さの象徴なのだ。

 栄養の偏りがちな父に健康的な食事を作りたいという気持ちは、言ってしまえば私のエゴだ。1年365日の内の1割程度私の手料理を出したところで、健康面でいったら正直付け焼き刃に過ぎないと思う。
食事の用意を父から直接頼まれたわけでもないので、帰省中も私は自分の食事だけ用意し、父にはいつも通り配食サービスと加工品の食事をしてもらうという選択肢だってある。
それでも、帰省中は配食サービスを止め、野菜多めを意識して父の食事を作る。これは義務ではない、私がそうしたいからだ。

だから、父には私の作った食事を食べない権利が当然にあるし、私も必要以上に無理して料理せねばならないことはないのだ。

カップ麺事件から、私は「頑張って料理を作らねば」という強迫観念を捨て、義務感から来る愛情の押し売りをやめた。

 時間があって気が向くなら魚も捌いて煮ようが、無理なら水煮のパウチを使う。
塩と醤油の味つけが続いても気にしない。
そして父が食べなかったものは、また次回父に出す。

そうしてできた時間と心のゆとりで、父の手をさすりながらゆっくり話を聞いたり、一緒に近場を軽くドライブする時間をもっと増やしたい。
認知症の父は直近のことをすぐに忘れてしまうが、父の記憶の引き出しには、手の届かない奥底に秘密の箱があって、思い出やその時の経験、感情は、その箱の中に蓄積していると私は思っている。
だから私は、父になるべく穏やかに接したいし、限りある時間の中で、父との楽しい思い出を増やしたいのだ。

 なので、カップ麺食べたっていいのよ父よ。
でも揚げてないやつね。できれば汁は飲まないでいてくれると嬉しい。
ノンフライ麺の買い置きを補充して、私は再び東京に戻った。