認知症一人暮らし終了の父と遠距離介護の私

頑張りすぎない、周りのプロに頼る、自分を大切に、を忘れないようにしながら認知症一人暮らし父(要介護2)を遠距離介護中です。父のことは好きだけれど、時々背負い投げしたい時もある。でもやっぱり好き!後で読み返して笑うために書き溜めています。

おめでとう狩り

先日、41歳の誕生日を迎えた。

出不精、趣味なし、非社交的。
行動範囲も交友関係も非常に狭い私には、定番・突発含め、年間通しておよそイベントというものがない。
ひとつ歳を取る度に、特に何のドラマも起こらぬまま平坦に過ぎ去った1年間をぼんやり振り返るのだが、昨年からの1年間は、いつにも増して何もなかった。
なさ過ぎて、1年が過ぎた実感すらない。

誰に会うも、どこに行くも、何かを買うも、何ひとつ予定のない誕生日。
唯一あるのは、毎月の通院。
通院ついでに、気になっていたハンドマッサージに行ってみようかと思っていたのだが、その1週間前から手足の裏以外の全身に謎の発疹が出てまーあ痒いのなんのって、このまま耐えていると痒みで気が狂うなと思ったので、病院追加。

寂しすぎるマイバースデー。
しかし、そんな寂しさマックスの私にも、「誕生日おめでとう」の言葉はやってくる。
複数届いた、バースデーカードやメール。華やかなイラストや写真とともに、ハッピーバースデーの文字が踊る。
どれもこれも、これからの私の1年間が素敵なものになるよう、お祈りしてくれている。
そして、そのどれもこれも、お祈りし終わった後はこう続いていた。

「店頭またはオンラインショップで〇〇〇〇円以上お買い上げの方に、〇〇プレゼント!」
「ご注文時〇〇サービス!」
「特別クーポンをお届け!」
「お誕生月20%オフ!」

「お誕生日を迎えた特別なあなた」たる私は、その中から某ショップの特別クーポンをチョイスし、ちょうど切れそうだったいつもの基礎化粧品を購入した。

人間からの「おめでとう」が欲しい。しかし、待っていてもやってはこない。
ならば、自ら積極的に狩りに行こうではないか。

以下、父とのモーニングコール中の会話である。

「お父さんお父さん、カレンダーの横を見てください。今日は何月何日と書いてありますか?」
(実家のカレンダーの横には、今日の日付と曜日が巨大な文字で表示されたデジタル日めくりが掛けてある。)

「えーと、9月10日だね。なにさ」
本日は、私の誕生日です!」
「ほー!そうなの。オレはねぇ、〇月△日」
「うん、そうだね」
「そうかぁ誕生日かぁ、全然知らなかった。もうきょうだいの誕生日もわからないもね」
「うん、きょうだいじゃなくて、娘ですけどね」
「お母さんは□月◇日だわ」
「そうだね。で、今日は私の誕生日なんです」
「そうかぁ、オレはね、〇月△日。もう80なんぼも生きてるから、自分の誕生日も忘れそうだわ」
「もし忘れても、私が覚えてるから大丈夫だよ。でね、お父さん、今日は私の誕生日なんですよ」
「今日誕生日かい!オレはねぇ、昭和10年〇月△日。もう82か3か?」
「86になりましたよ」
「ええー!もうそんななるかい!?」
「特別大きな病気もしてないし、86でそれだけ元気なのは本当に有難いよねぇ」
「ほんとだー若い頃に無茶しなかったお陰だわ」
「そうだねぇ。でね、お父さん。今日は私の誕生日なんですよ」
「ほーそうなの!」
「それでね、」
「うん?」
「誕生日の人に、なんか言うことあるでしょ?」
「誕生日かぁ、兄はまだ生きてるなぁ90超えたかなぁ」
「お父さんの家系は、皆長生きだよねぇ。でさお父さん、誕生日の私に言うことは?」
「おめでとう」

言ったーーーーーーーー!!!!!
やっと言ったーーーーーーーーーーー!!!!!!
「オレの誕生日」ループに入った時、もうだめかと思ったわーーーーー!!!!!!

「20歳の誕生日おめでとう」
「ありがとう、ダブルスコアだけどね」
「ほっほっ」

父は元々冗談を言うのが好きな人なのだが、もはやこの手の台詞が冗談なのか本気なのかちょっと判断しかねるので、時々ヒヤッとする。
今回は、会話の雰囲気から冗談のようだ。

無事むりくり父からおめでとうをもぎ取り、任務終了。
生の「おめでとう」をもらうのは、やはり嬉しい。例え、言わせた感100%だとしても。
朝ごはんを摂ったかどうか、今何をしていたのか、テレビを見ていたと返ってくればどんな番組を見ているのか、部屋は暑かったり寒かったりしないか、などいつもの会話ルーティンも終わり、またねと電話を切ろうとした時、最後に父がもう一言添えた。

「ハッピーバースデー」

電話を切った後もその一言がじんわりしみて、今回の会話を録音しておけば良かったと、物凄くものすごく後悔した。