認知症一人暮らし終了の父と遠距離介護の私

頑張りすぎない、周りのプロに頼る、自分を大切に、を忘れないようにしながら認知症一人暮らし父(要介護2)を遠距離介護中です。父のことは好きだけれど、時々背負い投げしたい時もある。でもやっぱり好き!後で読み返して笑うために書き溜めています。

父と私のお薬戦争

父よ、とても良いお返事です。しかし、残念ながらそれではだめなのです父よ。父よ。

 

認知症一人暮らしの父の服薬管理。
遠距離介護をする中で、これがものすごく難しい。

 

父は、内臓含め身体的には頑強な家系なので種類的にはそこまでではないものの、それでも高齢者のご多分にもれず、かかりつけ医から複数の薬を処方されている。
最初は、これは朝昼夜に一錠ずつ、これは朝だけ、これは…と薬ごとにがっさり一定期間分紙袋に入れたものを渡されていた。
しかし、毎日朝昼夜に必要なものを選別し、紙袋から取り出すという行為が難しくなり、飲み残すことが増えた。

 

そこで、薬剤師さんからお薬カレンダーをいただき、持ち帰った薬をあらかじめカレンダーに一ヶ月分セットすることにした。
しかしながらこれも、紙袋から取り出して仕分けをし、カレンダーに朝昼夜とセットすること自体が、父にはなかなか難しい。
私が帰省した時にしこたまセットしてきても、他人様の前ではきちんとしていたい気持ちの強い父は、そもそも薬が満杯に詰まったカレンダーが人目のつくところにあることを嫌がった。

 

ならばと、今度は調剤の段階で、朝昼夜それぞれに必要な薬を分けて小袋にパッキング、小袋には日付と朝昼夜のどれに当たるのかを印字してもらい、朝の薬・昼の薬・夜の薬とフタに書いた容器に保管して、食卓テーブルの上に置いてみた。
だがこれも、日付と曜日感覚を失った父の前に、あえなく敗退した。

 

朝は、毎日父に電話をする中で「薬は飲んだ?」と聞いている。
その返事が「飲んだよ」であっても「まだ飲んでないからこれから飲むわ」であっても、それが真実か否かその場では確かめようがないが、それでも、昼夜に比べ服薬頻度はやや高い。
だからといって、フルタイムで働きながら毎日朝昼夜に服薬を促す電話をするのは、私には難易度が高すぎる。

 

ところで、実家にはアレクサを設置している。ビデオ通話ができるタイプのEchoShow8だ。
一時期、父は電話機のコードを引き抜くことにご執心し、その間父と全くの音信不通となり気を揉みに揉んだ結果、第二の通信手段として導入した。
しかし、これも悲しいかな「電源入れっぱなしだと、本体が熱くなって燃えるのでは」という恐怖に駆られ毎晩コードを抜く父、対、毎朝電話で父を遠隔操作してコードを差し直させる私の攻防が、服薬戦争と並行して数ヶ月にわたり繰り広げられていた。

そして、コードが抜けているのを確認しただけで差さない、アレクサのコードを差し直す代わりにルーターのコードを抜く、アレクサ本体とコードは繋いだが、コードを電源タップから抜く、その度電話口とアレクサの間を何往復もさせられ途中で疲れるなど、父の多彩な攻撃により、私は連敗を喫していた。

 

本当なら、朝昼夜「薬の時間です。薬は飲みましたか?」と服薬を促すアナウンスを流す予定だったのに、時々起動しては綺麗な写真を表示するやたら奥行きのある時計と化した、沈黙のアレクサ。
ままならない父の服薬。
依然、帰省する度山盛り残っている薬。
すっかりお手上げ状態で、私は頭を抱えていた。

 

そんな中、アレクサに待望の「ナイトモード」機能搭載である。
購入した当初はなかったように思うが、気づかなかっただけかもしれないこの機能は、任意の時間になったら、電源はついたまま画面が真っ暗になるというものだ。
前回の帰省時に早速セッティングしたところ、父はまんまとこの術中にはまり、以降コードを抜く回数は劇的に減った。

 

ついに、ついに、アレクサ24時間365日フル稼働の日々が到来。これで、毎日決まった時間に、父に服薬アナウンスが流せる…!

 

と、大歓喜した日から二ヶ月後の今回。
帰宅早々確認した私の目の前には、やはり山盛り残っている薬。
朝は1/3程度、昼夜は最初の一ヶ月は飲めているが、後半はがっつり残っている。
アレクサが毎日正常に稼働し、服薬アナウンスを流しているのは確認済みである。また、薬の残り方からいって、最初は上手くいっていたようだ。

 

途中から上手くいかなくなった原因は、何なのか。
昼食後、定位置のソファに寝転がりテレビを見る父。食卓テーブルの薬たちを見つめながら唸る私。

その時、アレクサから昼の服薬アナウンスが流れてきた。

 

「昼の薬の時間です。薬は飲みましたか?」
父は、大変元気良くなめらかに答えた。
「飲んでませーん」
終了。
大変良いお返事ののち、全く動かない父。目はテレビに向けたままである。

 

原因これだよーーーーーー!!!
父よーーーーー!!そういうところだけ本当に順応が早いですね父よーーーーーー!!!!!

 

「飲んでないなら飲もうね」と、父に薬を手渡しながら、私は光の速さでアナウンスを「薬は飲みましたか?」から、「薬を飲みましょう」に変えた。

 

結果は、次回の帰省時に。

朝8時、眼下にファラオ

朝8時、自宅2階の遮光カーテンが引かれた薄暗い部屋のベッドで横たわる父を見下ろしながら、私の脳裏にはこの一言だけが強烈に明滅していた。
「あかん」。

 

私が今生活している東京と比べて、「寒いね」の言葉の重みが段違いの地元北海道。この間まで割と穏やかだったのに、突然の寒波と積雪に、ネットの天気予報で「無慈悲」と表現された、12月半ば。
私は、数ヵ月に一度の帰省ペースで、認知症一人暮らしの父(85歳)の遠距離介護をしている。
いつもならとっくに起きて居間に降りてくる時間なのに、いっかな降りてこない父の様子を見に来たところだった。

 

見下ろす先には、事前に用意しておいた暖かい寝具を取り払い、30年位前から家にあるへなへなの膝掛けを何枚か体に掛けただけの父。
幸い、室内は暖かい。冬はラクトよりミルクよりクリームだよねと、無慈悲な外を眺めながらリッチなアイスをのほほんと食べられる位には、平和な温度だ。
それでも、仰向けで両手もきっちり組み、穏やかに、あまりにも穏やかに眠る姿を見た途端わき起こる、「ねえ、これ「眠」の前に「永」ってついてない?」という激しい動揺。
と共に、脳裏にビッカンビッカン光り輝く「あかん」のネオン。

動揺を隠すように遮光カーテンを力の限りジャッと開けたら、父の目もぱっかり開いた。
「永」じゃない方の眠だった。父に、新しい朝がやってきた。

 

これが幼子だったら、健やかな成長を感じて心温まるところ、高齢の親の穏やかな寝姿というのは、なにゆえあんなにも心臓に悪いのか。
ただでさえ、単純に年のせいなのか進みゆく認知症の影響か、年々父はとてもさっぱりした顔つきになっていくので、ともすれば穏やかなんだか無なんだか判断がつかない。
あんまりいびきをかいていてもそれはそれで心配なのだけれど、なんかこう、ドキーッ!としない方法が欲しい。

 

微風でくるくる回る小さい小さい風車を、父の鼻の穴の近くに添えたいと思いながら、私は努めて明るく声をかけた。
「おはようお父さん、良い朝だよ」。