認知症一人暮らし終了の父と遠距離介護の私

頑張りすぎない、周りのプロに頼る、自分を大切に、を忘れないようにしながら認知症一人暮らし父(要介護2)を遠距離介護中です。父のことは好きだけれど、時々背負い投げしたい時もある。でもやっぱり好き!後で読み返して笑うために書き溜めています。

無限問答「今日は何日何曜日?」

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「ところで、今日は何日の何曜日さ?」

父は、認知症になってから「日付曜日を娘に尋ねる」という無限スキルを手に入れた。
無限スキルの発動頻度は、年を追うごとに加速している。
答えた直後に、間髪を入れず全く同じ口調で「ところで…」と再び問うこともままあり、一回のスキル発動におけるループ回数は、その時の父次第だ。

普段は遠距離のため、この無限スキルに付き合うのは毎朝の電話やアレクサでのビデオ通話の時位だが、帰省中は二人きりの空間で、それこそ夜となく昼となくがっぷり四つで向き合うことになる。
せいぜい一週間程度の限られた期間内であったとしても、一日中続くと心象風景的にはもう賽の河原、地味に結構な負担だ。

加えて問題となっているのが、私自身この質問にすぐ答えられないことである。
いつ何時でも正しい日付曜日が分かっていれば、父のスキル発動時に機械的に即レスもできようが、「えーっと…ね…水曜日なんだけど、日曜が〇日だったからえーっと…?」と、こちらもこちらで大変おぼつかない。
曜日は分かるのだが、己の日付感覚がざっくりしすぎていて、とっさに分からないのだ。日付を意識していなさすぎて、部屋に置いてあるカレンダーが1・2月分のままだったことに、3月末日に気づく有様だ。
2ヶ月表示のカレンダーにしておいて良かった。3・4月分の絵も、残り1ヶ月は楽しむことができる。

あっちがよぼよぼなら、こっちはよれよれ。私も、父のことを言えた義理ではない。
という訳で、ついに我が家にも設置したのである。
以前ツイッターのフォロワーさんに教えていただき、また他の方の介護ブログなどでも「これは便利!」と好評の、デジタル日めくり。
標準電波を受信して、自動で誤差修正してくれるというありがたい機能付き。
置き型、壁掛け、両用タイプ。気温や湿度、天気まで分かるもの。
ネットで調べると色々な種類が出てきたが、父に必要なのは、「今日が何月何日何曜日か」がすぐ分かることなので、極力それ以外の情報が表示されないシンプルなものを探し、上半分に時間と日付、下半分に曜日がこれ以上ない程大きく表示されたタイプを購入した。

この日めくり、本当に曜日表示の大きさが尋常ではない。
「〇曜日は生ゴミの日」、「〇曜日はヘルパーさんが料理を作ってくれる日」と、日付よりも曜日で今日の出来事を認識していることの方が多い父に対し、「ワタクシをご覧いただければ!瞬時に!!」という気概をビシビシ感じ、見るからに頼もしい。
いける、これはいけるぞ!

購入したものの、実家でいざ開封したら思っていたのと違う…となると困るので、一旦私の家で実際に大きさや使用感を確かめた上で、実家に持ち込んだ。
私の家でも実家でも、日めくり持ってあっちうろうろこっちうろうろ、窓際にしばらく置いておいても初回の電波受信がにっちもさっちもうまくいかなかったが、手動でも設定できるのでそこはまあ構わない。

早速、電話台の上の壁掛けカレンダーの横に設置。
縦235mm横133mmの素晴らしい存在感。圧倒的に無視できない大きさだ。
その下半分が曜日。本当に、やけくそのように曜日がでかい。
設置した後、電話台の対面の壁側に置いてある一人掛けソファで読書している父のところまで移動し、文字の大きさや見え方を確認、光の反射や角度による表示の見にくさなどもないことを確かめ、ついに父に披露した。

「お父さん、お父さん」
「ん?なに?」
「カレンダーの右横をご覧ください!」
「カレンダー…そういや今日何日の何曜日さ?」
きました!待ってました!ハイ!!
「お父さん、そこでカレンダーの右をご覧ください。今日が何日何曜日かすぐに分かります!」
「んー……おお、14日、日曜日。どしたのこれ?」
「お父さんへのプレゼントです!どう?便利じゃないこれ?私もよく日付分からなくなるから、いいなぁと思って」
「おお、いいなぁ」

よしよし好感触。
父の視界でも問題なく見えているようで一安心し、しばし歓談。
「ところで、今日は何曜日さ?」
「お父さん、カレンダーの右をご覧ください!」
「おお、なにこれ?」
再び説明アンドきゃっきゃきゃっきゃ。
「ところで、今日は何日の何曜日さ?」
「お父さん、あちらを!」デジタル日めくりを指さす私。
「…14日、日…おお~あれどしたのさ?」
またまた説明アンドうふふうふふ。

日付曜日を聞きたい父と、新グッズをお披露目したい私の、幸せ無限ループ。
さながら、お花畑で手と手を取り合いくるくる回る恋人たちのごとく、何日何曜日問答を延々繰り返す二人。
良かった、この方法はうまくいきそうだ。私は勝利を確信した。

そして、勝利確信から一夜明けた3月15日、月曜日。
繰り返される、父「何日何曜日」、私「お父さん、あちらを!」
「3月15日、月曜日…おお~これいいなぁ」
「でしょ~!便利だよね!」
にこにこうふふ。いやぁ今日も平和だわぁ。
「ところで、あれに出てる3月15日の月曜日ってなにさ?何がある日?」

「……んっ?」

おっとっとそうきたか。
父、今度はデジタル日めくりに表示されている日付曜日が、何を指しているのかわからないというのである。
何かのイベントがある日が、予め表示されていると思ったようだ。
ここにきて、まさかの無限スキルレベルアップ。父の手札は多彩すぎて、本当に驚かされるばかりだ。
あれには今日の日付と曜日が出るんだよと説明しつつ、私は即行紙にサインペンで「今日は」と大書し、デジタル日めくりの上部に貼り付けた。

認知症の父への対応は、いつもいつも手探りだ。今日成功したことが、明日も成功するとは限らない。
去年は、電話以外の連絡手段としてアレクサを導入し、今回はデジタル日めくり。
アレクサをアレクサだと認識できない父のため、アレクサにはでかでかと「アレクサ」と書いた紙が貼ってあるし、今回の日めくりにもでかでかと「今日は」の紙。
デジタルツールを取り入れつつもアナログ全開の我が家だが、頼れるツールがどんどん増えているこの状況は、遠距離介護の身としては本当に有難い。

次回帰省時には、夏場どれだけ暑かろうと「面倒くさい」とエアコンを使わない父のため、スマートリモコンで動かせるように設定したいと、ひそかに企んでいる。
知らぬ間に勝手にオンオフされるエアコンに恐怖した父が、コードを引っこ抜く未来が既に見えている気もビンビンするが、帰省するまでにうまい方法を考えたい。

回転寿司と千手観音

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千手観音になりたい。
父と回転寿司屋へ行く度に思う。

寿司好きの父は、私が帰省するといつも回転寿司ディナーを所望する。
近所には、タッチパネルで注文するタイプの店と、紙に書いて手渡すタイプの店とがある。
父は、寿司は好きだがネタにこだわりはなく、「何食べたい?」「何でもいい、適当に頼んで」と丸投げしてくるので、注文は全て私が担当だ。

食事ペースが早く、寿司に限らず待たされるのが嫌いな父の元に、切れ間なく寿司が届くように注文しつつ、合間に自分も食べるというのは、なかなかに難しい。
立ち回り的には、会社の飲み会に近い。
しかし、支払いは父持ちなので、会社の飲み会のように「ろくに食えんメシに給料半日分の金払わされた挙げ句無賃残業させられてるんですけどナニコレ」感はない。
本当に、会社の飲み会の存在意義が分からない。気持ちいい位金ドブだが、昨今の情勢でぱったりなくなった。これについては、素直に大変喜ばしい。

タッチパネル店には10貫程がひと皿に乗ったセットがあり、ひとまずそれを頼んでおけば、次の注文まで時間を稼げる。また、タッチパネルでの発注はすこぶる楽。
しかしそこは人気店で日時によっては大変行列するため、今回は紙注文店に赴いた。

着席。
カウンターに通されたため、あまり皿を置くスペースがない。発注ペースをざっと段取る。
父にお茶とガリの用意をお願いしている間に、1回での注文上限である3皿(全て父用定番ネタ)を記載して発注。
ガリが大好きな父、初回分が届くまではガリとお茶でご機嫌。
私、店内に貼り出された「本日のおすすめ」も見つつ、2回目注文3皿分を記載(1皿は自分用)。
初回分到着と同時に、2回目分手渡し。

父、久し振りのお寿司にご満悦。
私、ガリとお茶をがぶ飲みしつつ父に寿司ネタの希望を聞くも、いつもの「何でもいい」。
2回目寿司着、3回目として父2皿と自分用蟹汁を発注。
ここで店が混み始め、提供に時間を要しだす。
父、回転寿司なのにレーンに寿司が回っていないに気づき、店員さんに「どうして寿司が回ってないの?」と質問。「予め握ったのを回すのではなくて、注文もらって出してるんですよ~」と教えてもらう。

蟹汁着。4回目(父1、私2)を渡す。
焦れる父に自分用蟹汁を薦めるが、いらないと拒否。

私、まだ最初の1皿手つかず。そしてこの蟹汁が、大変な番狂わせだった。
華奢な足が申し訳程度に沈んでいる位かと思っていたら、甲羅も立派な足も山盛り入っており、ハサミと蟹スプーン付属。これで240円(確か)。価格破壊も甚だしい。
自分用1皿目の寿司を残したまま、ひたすら蟹の身をほぐす。焦りながら、空腹は引き続きガリとお茶で凌ぐ。
ほぐす合間に寿司をつまめば良いのかもしれないが、できれば寿司は蟹汁と味わいたい。そんな気持ちとガリ&お茶で、心と胃袋がいっぱいになっていく。

3回目発注分が来ない父、自分の席のレーンには寿司が来ないが、向かいのレーンにはどんどん寿司が来ていることが気になり、「何で寿司回っていないの」と、かなり大きな独り言。
奥で握られた寿司を、店内の店員さんに向けて流すのに向かいのレーンを使用しているからなのだが、父には分からない。「今握ってくれてるから、もう少し待って」と、せっせと蟹をほぐしながら声がけ。

数分後、再び「何で寿司が回ってないの、向こうには来てるのに」と店員さんに質問する父。「もうすぐ来るから待って」と声がけ。
父は先程の質問を忘れているだけなのだが、「このお客さんめっちゃ焦れてる」と思った店員さん、奥に「急ぎで!」とわざわざ伝えてくださる。

3回目着。吸い込むように食べる父、その横でまだ蟹の身ほぐしている私、どんどん冷める蟹汁。放っておかれる己の寿司。
即座に食べ終わり、また寿司の流れないレーンを気にしだす父、「ここのお店、回転寿司なのに寿司が回ってないね」と、声量大きめに発言。
私と店員さんに緊張が走る。違うんです店員さん、大丈夫なんで!ほんと大丈夫なんで焦らず順番に握っていただいて!!

気をそらせるため、ダメ元で「お父さん、この紙に食べたいお寿司書いて」と、紙とメニューを渡してみることにした。
拒否される前提だったが、どっこい素直にメニューを眺め、いそいそ記入する父。
できるじゃん!
いつも「何でも良いから頼んで」と言われるので、父に注文はできないと決めつけていた。
今まで、できることを勝手に潰してしまっていたのだなと反省しながら、どうしても殻から外れない蟹の身を必死になってほじくる。蟹を前にして、「この程度で良いか」はない。というかもう、止め時が分からない。

4回目着。父、5度目の発注を自ら行う。
寿司どころではない私、届いた自分用2皿の1貫ずつを父に提供。
ここでやっと、蟹の身との格闘に終止符。
達成感とともに冷めた蟹汁をすする。
めちゃくちゃうまい。冷めてるけど。蟹の身たっぷりで、小ネギがしゃきしゃきでうまい。多分、冷めてなかったらもっと最高にうまい。
次来た時も頼もう。反省は活かされない。
満足しながら、ようやく寿司を口に運びつつ、6度目として自分用に1皿と茶碗蒸しを発注。

5度目、6度目着。父発注の1皿は品切れで2皿となる。
もぐもぐしている父に腹具合を尋ねると、「そろそろもういいな、あと2皿位頼んで」とのことで、ラスト注文。

発注作業終了。
あとは父の最後の寿司が提供され、食べ終わるまでの間に、自分の分を全て平らげるだけだ。
急いで茶碗蒸しの蓋を開け、さじですっすすっす掬っては食べる。
私は、ここの茶碗蒸しのファンだ。銀杏ではなく栗の甘露煮が入った、北海道の味。
ほんのりあたたかい甘さに人心地がつく。もう大好き、ここの茶碗蒸し。

ラスト分着。父のお茶をつぎ足す。
父、最後の寿司も綺麗に平らげ、「おいしかったわ。お前がいないと寿司も食べに行けないしょ」と至極満足。
ほぼ同時に私も食べ終え、お茶で口をさっぱりさせる。
「支払いはこれでしなさい」と財布を預かり、会計。
「お父さんごちそうさまです。有難う!おいしかったね~」「何を言う何を言う、お前がいないと来られないもね」と、父娘でにこにこ退店ありがと~ございました!

本日の任務、「父との回転寿司ディナー」コンプリートである。

私としては、父との回転寿司は落ち着いていられないので、寿司食べに来たんだか注文しに来たんだか正直分からない。
しかし、お腹いっぱいの父が本当に嬉しそうなので、別に構わない。
構わないのだが、やはり腕2本ではあまりに忙しないので、千手観音になりたい。
いや、千でなくとも、脇から左右あと二本ずつ、百手観音位でもいい。

しかし、今日は良い発見があった。
次回この店に来る時は、是非父に自ら注文してもらおう。一緒にメニューを覗きながら、あれもおいしそうこれもおいしそうと各々注文用紙に書き入れるのは、きっと楽しい時間になる。
新たな希望を胸に、私は車を発進させた。

父はエゾリス

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「冷蔵庫から発見されました」

ついにきた。
独身の時は恐らく祖母、結婚後は母が家計管理をしていたため、父には資産管理の経験が(ほぼ)ない。
生活費以外の部分では毎月お小遣い制で決まった金額を母から受け取っていた父は、一人で生活している今、自ら窓口やATMで現金を下ろすこともできない。
そのため、私が帰省する度に、いつもまとまった現金を所定の場所に置いている。
その場所も父は忘れてしまうけれど、今までは「うちにお金いくらある?」「〇〇に置いてあるよ、探してみてくれる?」で、自分で探す→見つける→安心して所定の場所に戻すができていた。
そのサイクルが、ついに壊れたのである。

最近父は、頻繁に「お金がない」と言うようになってきた。
その度にいつもの場所を探してもらっていたのだが、先日、その所定の場所には数万円しかないと言う。
父の生活にかかる費用の殆どは口座からの直接引落で、現金は通院、食料品と日用品の購入時位にしか使わない。
そして、現金はいつも、私がいない間父が困ることのない金額をセットしている。

前回の帰省から2ヶ月で残額数万円は、明らかにおかしい。
私の把握している限りで、父は一度、下水道の工事業者を名乗る人間からの詐欺被害に遭っている。
また知らぬ間に詐欺に遭っている可能性も否めない。
ケアマネさんに相談したところ、通院の付き添いやヘルパーさんにお願いしている食品の買い出しなどの時に、やはり「お金がない」となり、最近は食器棚や電話台などあらゆる所を開けては閉めている状態であることが分かった。
そしてとうとう、冷蔵庫からお札が発見されたという。

はいきた定番の!冷蔵庫!
食品の貯蔵が主たる用途だが、なぜだか貴重品を入れがちな便利ボックス。
ついに我が父も、その便利さに気づいてしまったようだ。

大事なものだから大切にしまい込んだのに、肝心のその場所が分からない。
その姿は、私に冬に入る前のエゾリスを思わせた。
ちなみに、リスが種子などを貯蔵することを貯食行動と言うらしい。ほほう。
ドングリを土に埋めるのであれば、いずれ芽が出て場所も分かろうが、しかしながらエゾリス父が冷蔵庫内に埋め込んだお札は、芽吹くことなくただ静かに冷えるばかりだ。

さてどうしたものか。
頻繁に帰省できない距離のため、どうしても数ヶ月分の現金を家に置いておく必要がある。しかしながら、現金書留で送ったところで封筒ごと紛失する未来が見える。
現金がないと、父の日常的な生活が立ちゆかなくなる。

ケアマネさんと相談し、今までは父から直接ヘルパーさんに買い出し費用を手渡ししていたのを、今後は父の手の触れないところに費用を保管し、私とヘルパーさんとの間で入出金やりとりをすることにした。
その上で、「お父様の気持ちを尊重することも大切なので、今までの場所にもある程度お金を置いた方が良いですよ」と、ケアマネさんにアドバイスいただき、最悪紛失しても致し方なしと思える金額を、引き続き今までの場所に保管することにした。
何についても「スムーズに進むこと」を大切にしすぎるあまり、融通が利かなくなることがある私にとって、このアドバイスは大変ありがたかった。
「父が生活に困らないように」にばかり目がいき、「お金がないことに対する父の不安な気持ち」にまで気が回らなかった。
私のガチガチな視界をふわりと広げてくれる存在は、本当にありがたい。

次回帰省時に、早速買い出し費用保管場所を作ろう。そして、エゾリス父が貯蔵したお札の大捜索もしなければ。
父の手の及ばないところはどこかしらと考えている私に、新たにケアマネさんから電話があった。

「先日、炊飯器から小銭が出てきました。」

思わず、「炊いたごはんの中に…?」と聞いてしまったが、さすがに釜は空だったようだ。
その内洗濯機からも出てくるかもしれない。その時はラッキーコインとして、お守りにでもしようかな。

エゾリス父との攻防は、これからも続くようだ。

おとうさんスイッチへの憧れと猛省。

おとうさんスイッチをご存じでしょうか。
某テレビ番組の、あれ。お父さんを自分の思うように動かすボタンのついた装置。

例えば通院。
認知症の薬や骨を強くする薬など、いくつか服薬しているものの、おかげさまで内臓的には健康体で本人もそれを自慢にしているため、病院に行こうと言っても、
「誰の?」
「お父さんの」
「俺?必要ないよ」
「あるよ、お父さん病院行って薬もらってるんだよ、だから病院行こう」
「誰の?」
「お父さんの」
「俺?必要ないよ」
問答が、以下エンドレスリピートになる時。

例えば風呂。
生来風呂嫌いで、できる限り入浴を避けようとし、今冬水道管が凍結した際、真っ先に風呂場の元栓を締め声高らかに「風呂には入らん」宣言をした時。

例えば散髪と髭剃り。
外に出ないからという理由で髪も切らず髭も剃らず、アレクサに映る父の姿が、「なつぞら」の草刈正雄さんさながらのワイルドダンディになっている時。

その他にも、回転寿司を食べに行き、順番待ちの自分の番号が分からず、誰かの番号が呼ばれる度に立ち上がり歩き出す父を止め続けている時。
ガリを皿に盛り終わった後のトングを舐めようとした時。
床屋で順番待ち中、
「ほらこんなに髭伸びたよー」(マスク外す)
「そうだね、お父さんマスク取らないで」
「ほらこんなに髭伸びたよー」(マスク外す)
「本当だね、マスク取らないで」
「ほらこんなに髭伸びたよー」(マスク外す)
「うん、マスクつけて」
を延々と繰り返している時、などなど些細なことを挙げていったらキリがない。

周りの状況と自分の取るべき行動が分からなくなった父の対応をする中で、伝わらず、理解されず、ままならず、『カモンおとうさんスイッチ----!!!』と、脳内で叫びまくる機会は多い。

風呂は、入らない代わりにこまめに体は拭いており、帰省の度父の体臭チェックをしているが臭ったことはないので、デイサービスでも毎回声がけはしていただきつつ今のところ様子見している。
寿司の順番待ちは、誰かが呼ばれる度そわそわする父に先んじて、「お父さん何ネタ食べたい?」と、何とか気をそらさんと話かけ続けた。
ガリのトングは、びっくりしすぎて強めの口調で止めてしまい、少し自己嫌悪に陥り、何が悪いのか理解できずきょとんとしている父の姿を見て、また落ち込んだ。
髭をたくわえた父の姿は新鮮で、割と悪くないと思ってしまっている自分がいる。どうしても、私の目に父の容姿は好ましく映る。

通院と服薬が目下の懸案事項だったのだが、先日ついに困ったことが起きた。
「転倒し左手を負傷、大分腫れているが本人は病院での診察を断固拒否している」と、お世話になっている介護事業所から連絡が入ったのだ。
本人が痛がっておらず、また夕方だったこともありその日の受診は断念、明日また左手の様子を見て声はかけるが……とのこと。
骨折していたら大変だし、していなくても診察と治療は受けて欲しい。しかし、きっと明日も父は受診を断るだろう。
どうしようかと思い悩んでいる時に、父は「俺は医者でないから」という理由で、医者には従順になることを思い出した。

そこで、「父には私から、『病院の先生が左手の怪我を診るから病院に来てと行っている。明日〇時に病院の人が家まで迎えに来てくれる』と伝えるので、ヘルパーさんとしてではなく病院の人として、父を迎えに行って欲しい」とお願いした。
この方法は大当たりし父は無事受診、その後も「病院の人が〇時に迎えに来る」で、スムーズに通院できている。
そして、毎度父は「病院は今そんなサービスまでしてるのか、すごいねぇ」と感心している。

「髪切った方が良いんじゃない?」、「髭剃るともっと紳士になって素敵だよ」は効果がなかった床屋にも応用し、「床屋さんに予約してあるから、今から準備して行こう」で無事さっぱり。

討ち死にした数々のトライ&エラーの屍の上で、父には「提案型」ではなく「決定事項」として伝えるのが効果的であることが判明したのは、私にとって光明だった。
父の遠距離介護をするようになって約5年。
幸い認知症の進行は、着実だがゆっくりでもあるので、私はまだ介護の苦労のほんの爪先にも触れていない自覚はある。
それでも、それなりの苦悩苦労心配不安、先の見えない遠距離介護の中で、この経験は私に自信をつけさせた。

そして、「ついにおとうさんスイッチたる魔法の言葉を手に入れた」という傲慢さも。

父の住む自治体では、地域ぐるみの高齢者見守り体制のひとつとして、高齢者に、この先自分が医療や介護サービス等を受ける際「どういう対応をされたいか、どういう対応をされたくないか」等を記入してもらう書面がある。
そこに父は「人間性を尊重して欲しい」と書いていた。
それをふと思い出し、成功体験により「こう言えば父を上手く動かせる」と思い上がっていた私は、冷や水を浴びせられた思いがした。

介護者たる私のすべきことは、「父の身の回りの問題点をなくす、または軽減するために、父に行動を促す」ことであり、言い方の工夫はそのためにあるものであって、「父を自分の思うとおりに動かす」ためではない。

例え判断力が落ち、自分にとって有意義なことに対しても行動を起こせなかったり、こちらが驚くようなことをしてしまったとしても、父は赤子ではない。
いつも家族を第一に考えて85年間生きてきた、一人の尊敬すべき人なのだ。

自分が正しいと思い込まない。
父に対して、小さな子どもに言い含めるような言い方をしない。
父の人間性をないがしろにしない。
父と接する中で、大切にしたいと心掛けてきたことだったのに、自ら破りかけていた。
これはいかん、と猛反省した。

私は父を大切にしたい。
私が生まれてから今まで、私の人間性を重んじて育ててくれた父のように、父に接したいと思っている。
今一度、そのことをしっかりと心に据えて、父と向かい合わなければ。

父と私と、お互いが穏やかに笑っていられる時間を少しでも延ばせるような介護がしたいと思う。
そのために私に必要なのは、おとうさんスイッチではないのだ。

追記
最近、ついにデイサービスで初入浴、さっぱりしたと本人ご満悦との報告を受け、嬉しさに小躍りしました。
歴戦のヘルパーさんの経験値に、改めて敬意。

カップ麺への敗北と救済

シンクに置かれたカップ麺の空き容器により、私は己にかけていた「頑張って料理を作らねば」の呪縛から解き放たれた。

介護帰省中、朝6時に起床して、朝食と父用の昼食を作り、朝食後はゴミ捨て掃除洗濯などをこなし、出かける直前、食卓に昼食をセット。父に「午後まで出かけます。お昼作ってあるから食べてね」と声がけの上メモを残して、ばたばたとケアマネさんとの面談に向かう。
面談ののち、銀行、日用品の買い出しなどに奔走し、へろへろと帰宅した午後2時。
シンクには、カップ麺の空容器がぽつりと置かれていた。

食卓に置いてきた父の昼食は見当たらない。
恐る恐る冷蔵庫を開けると、そこには食べてもらうはずの昼食が丸ごと鎮座していた。

 せっかく作ったのに君ィーーー!!
よりによってカップ麺とか君ィィィーーーーー!!!「昼は元々そんな食べないから軽くていい」とか言いながらカップ麺て!
「夜はコースだからランチは軽め」って、バターたっぷりのクロワッサンとカフェラテの投稿写真を見た時と同じ気持ちよ今!
カロリーも油脂分も高い食事の何をもって軽めなのか!?重量ですか!?クロワッサンとカフェラテはともかく、あなたの食べたカップ麺普通にしっかりサイズよ!?軽めとは!?!?

瞬間、私の心の活火山が盛大に火を噴いた。

 全く料理ができない父の普段の食生活は、昼は週6で配食サービス、その他は日持ちするレトルトや缶詰、パックの惣菜、食肉加工品類がどうしても多くなる。ヘルパーさんが、毎週野菜や肉などを購入し調理してくれてはいるが、母がいた頃のように作り置きの一切ない毎日3食常に違う手作りメニューが食卓に並ぶ生活は、もうできない。
せめて、自分がいる間だけでも父に健康的な食事をして欲しくて、3食バランス良くなおかつ野菜が沢山摂れるメニューをと、短い帰省期間中にやらねばならない複数事項に追われながら、私は台所に立ち続けてきた。

親の心子知らずと言うが、料理してくれる人の心食べる側知らずである。
料理をしない父には、食事が食卓に並ぶまでの手順、及びそれにかかる時間や手前が、全く分からない。
せいぜい、「冷蔵庫から食材を取り出して加熱などする→できあがり」位の認識だろう。

それは調理であって、料理の全てではない。
調理は、料理の中の一作業に過ぎない。
チラシで特価品の確認、スーパーに赴き旬で安い食材を探し、どれとどれの組み合わせでどんな料理が何品何食分作れるのか、向こう数日間の朝昼晩メニューも考えながら買い物、購入した食材は、キャベツは芯をくり抜き水気を絞ったキッチンペーパーで包む、もやしはひたひたの水に浸けるなどそれぞれ保存に適した状態にし、晩に焼く魚の切り身には、振り塩で下準備エトセトラエトセトラ…。
調理にしたって、皮を剥いたり切ったり、食材を調理に適した形にしないと、そもそも作るものも作れない。

 そういう様々な工程を経て出来上がった本日の昼食、カップ麺より価値なし。

 そもそも、私は料理が得意ではない。恐らく、腕前は平均点も行かないと思われる。
自ら作らなくても食事が出てくるなら、私だってそれに甘んじたい。こんなに楽なことはない。
それでも、魚好きな父のため初めて鰯を捌きぼろぼろにし、鮭を骨取りしてこれまたぼろぼろにし、ふにょふにょのカレイの腹へ包丁を入れるのに四苦八苦し、味つけも同じものが続かないよう気を配ってきた。
そして、私は自身の都合により食べられるものが限定されているため、毎食父と私別メニューの用意が必要なのだ。

そんな中での、カップ麺に敗北事件である。
くそう父め、私の労力も知らないでまったく父のやつめ。
「何食べたい?」と聞くと毎度毎度「何でもいい」しか言わないくせに。何でもいいが一番困るんだわ、メニュー選びからしないとならんのだから。
その日、私は早々にふて寝した。

 そして、思い出したのだ。
少し前までは、毎週入院中の母の見舞いついでにスーパーに寄り好きなものを購入していたが、それもなくなり自分で食品を購入するという機会を失った父が、「食べたいもの食べられないしょ」と漏らしていたことを。
父は昔からカップ麺が好きだった。認知症になる前母が元気だった頃も、正午ちょうどに外出先から帰ってきた母に「え~カップ麺にしちゃったの?お昼作るねって言ったしょー!」とがっかりされている場面を、何度も見たことがあった。

3食自炊の私自身、家に帰れば作り置きのおかずが冷蔵庫にあることを知っていても、仕事上がり突然とんかつの口になり、食べに行くことだってある。
どこにでも行ける私は、いつでも自分の食べたいものを選ぶことができるが、父にはそれができない。
その日の昼、父が「今食べたいもの」は、私の作った昼食ではなく、カップ麺だった。
ただ、それだけのことだ。
シンクに置かれたカップ麺の空容器は、父の不自由さの象徴なのだ。

 栄養の偏りがちな父に健康的な食事を作りたいという気持ちは、言ってしまえば私のエゴだ。1年365日の内の1割程度私の手料理を出したところで、健康面でいったら正直付け焼き刃に過ぎないと思う。
食事の用意を父から直接頼まれたわけでもないので、帰省中も私は自分の食事だけ用意し、父にはいつも通り配食サービスと加工品の食事をしてもらうという選択肢だってある。
それでも、帰省中は配食サービスを止め、野菜多めを意識して父の食事を作る。これは義務ではない、私がそうしたいからだ。

だから、父には私の作った食事を食べない権利が当然にあるし、私も必要以上に無理して料理せねばならないことはないのだ。

カップ麺事件から、私は「頑張って料理を作らねば」という強迫観念を捨て、義務感から来る愛情の押し売りをやめた。

 時間があって気が向くなら魚も捌いて煮ようが、無理なら水煮のパウチを使う。
塩と醤油の味つけが続いても気にしない。
そして父が食べなかったものは、また次回父に出す。

そうしてできた時間と心のゆとりで、父の手をさすりながらゆっくり話を聞いたり、一緒に近場を軽くドライブする時間をもっと増やしたい。
認知症の父は直近のことをすぐに忘れてしまうが、父の記憶の引き出しには、手の届かない奥底に秘密の箱があって、思い出やその時の経験、感情は、その箱の中に蓄積していると私は思っている。
だから私は、父になるべく穏やかに接したいし、限りある時間の中で、父との楽しい思い出を増やしたいのだ。

 なので、カップ麺食べたっていいのよ父よ。
でも揚げてないやつね。できれば汁は飲まないでいてくれると嬉しい。
ノンフライ麺の買い置きを補充して、私は再び東京に戻った。

父の熱愛と破局、そして。

年が明けてからの一週間で、実家のテレビが映らなくなり、水道管が三日連続で凍結し、それをいいことに風呂嫌いの父が風呂場の水道の元栓を閉め、高らかに「脱・風呂宣言」をしました。

 

ピンチをチャンスに変える男、父。

 

体はこまめに拭いているみたいだし、帰省の度に父の体臭チェックをするけれど、今のところ臭ったことはないから、まあ良いのだけれど。

ヒートショックも怖いし。

 

水道管は、業者さんを呼んで解氷をしてもらったが、恐らくまた近い内に凍るだろう。 去年一昨年も凍ったが、シーズン内に一、二度程度だった。父と共に家も着実に老化している。

しかしながら、帰省はまだしばらく先になるし、実家から遙か遠い場所で気を揉んでも仕方がないので、よぼよぼの水道管が春まで持ち堪えてくれるのを祈るしかない。

 

問題は、テレビの方だ。

実は前回の帰省時から、テレビの調子は悪かった。

アンテナ不良のようで地上波は全滅、BSのみ映る状態だったのだが、電器屋さんに電話したら、雪深い冬の時期は修理が難しいと断られてしまった。

BSだけでも映るだけましかと思っていたのに、我が家の「世界の亀山モデル」シール貼りっぱなしの十五年選手は、ついに何も映さぬ沈黙のでかい板となってしまった。

 

家から出ない一人暮らしの父とテレビは、毎日が蜜月べったりべたべたの関係だ。

ヘルパーさんは来て下さるが、それも一日の内の少しの時間でしかないし、誰もいない家の中、父は一日中つけているテレビと会話する。

私が帰省している間も、芸人さん達の計算されたボケ行動などを真に受けては、「何はんかくさいことしてんのさ~」と、知った顔で良く突っ込んでいる。 妙に上から目線な突っ込みに、横でイラッとすることもあるが、にこにこと楽しそうな父を見られるのは嬉しい。

ひとりきりの空間で、音や映像といった刺激と共に父を外の世界と繋げてくれるのは、基本テレビだけだ。

文章なら何でも好きで、新聞も隅々まで読むが、新聞は、情報は得られても音も出ないし動かない。

 

そんな父の世界から、愛しのテレビが去ってしまった。

あかん。

静かな家の中、朝起きてから寝るまでの長い時間を、ただひたすらソファで寝っ転がりながらやり過ごす父を想像してみた。

あかんぎる。

わびしすぎて、胃が痛い。認知症的にも、どう考えても不安要素しかない。

何とか今時期でもアンテナ修理してくれるお店はないか、近くの電器店を調べまくりながら、ひとまずの対処策として、速攻書店で書籍雑誌を買い求め自宅に送った。

 

毎日朝晩の電話の中で、私が最初に必ず聞くのは「今何してましたか?」なのだが、荷物が実家に届くまでの数日間、返答がお決まりの「寝っ転がってテレビ見てた~」ではないことが、つらかった。

そしてついに、荷物が届く日。

宅急便の追跡サービスで着荷を確認し、受け取った箱のまま放置して忘れているようなら開梱してもらうべく、電話をかけた。

「今何してましたか?」

「ソファに寝っ転がってテレビ見てた~」

 

え?

 

「テレビ?テレビ映るようになったの?壊れてないの!?」

「え?壊れてないよ、映るよ」

 

あまりの暇さに、父がイマジナリーテレビを生み出したのかと思ったが、見ている内容を聞いたところ、確かにその時間放送されている番組内容と一致した。

世界の亀山復活。ただしやはりBSのみ。

そういえば、地上波は真っ暗な画面にエラーメッセージが出ていたけれど、今回父は「砂嵐が出る」と言っていた気がする。 そもそも瀕死なのだろうが、どうもここ最近天候不良だったのが、直接の原因のように思う。

なんにせよ、ひとまず良かったーーー!!

戻ってきてくれてありがとうテレビ!!!

あとは、頼むから雪解けまでそこにいて!!!ほんと頼む!!!!

 

ちなみに、送った書籍雑誌については、荷物を実家に送った時の恒例行事

「今日お父さんに荷物が届いてるんだけどね」

「荷物なんて届いてないよ」

「うん、配送業者さんから届けましたよって連絡来たから届いているんだけどね、玄関と階段と脱衣所(父の「なんかわからんもの置き場」ゴールデンゾーン)に置いてないか見てくれる?」

問答を複数回繰り返し、無事開梱を確認、本大好き父は大いに喜んでくれた。

 

次回帰省時には、父にも簡単に使えそうなラジオを置いてこようか検討している。

父と爪切り

父の足の爪は、厚くて硬い。

 

高齢者の爪は、厚く硬くなりやすいと聞いたことはあるが、それにしたってとんでもなく厚くて硬い。
爪切りで切った時の音で表すなら、ンブワァッツィィィィィンンンンンン……ンン……ン(方々に散らかる余韻)だ。
通常の爪切りだとその頑丈さに太刀打ちできないので、実家には大きい爪切りを備えてある。

 

長く入院していた父方の祖母の足の爪も厚くて硬く、ペンチみたいなごつい爪切りで、いつも父がブッヅンブッヅン切っていた。
私の足の爪もそこそこに硬いので、恐らく加齢云々よりも、遺伝だ。

 

父の足の爪を切るのは、帰省時の大事な仕事のひとつだ。
帰省は数ヵ月に一度なので、できればもう少し爪切りの頻度を上げたいのだが、足が悪く自分で足の爪を切れない父は、「人様にやっていただくなんて申し訳ない」という理由で、デイサービス(そもそも今は全く行かなくなってしまったが)でも爪を切ってもらうことに抵抗し続けた。

 

広げた新聞紙の上に乗せた父の足を、まずは右から、お湯に浸して絞ったタオルで指の一本一本、指の股も丁寧に拭く。
足の裏、土踏まず、かかとも忘れずに優しく擦る。

 

準備ができたら、外に出ない上に靴下も履かないことでこの数ヶ月何物にも邪魔されず思う存分伸びた爪を、やはり右の親指から慎重に切る。
親指は特に、爪切りの刃が開く限界より父の爪の方が厚いことも多く、全然刃が爪を挟めない。
端の端からちまちまちまちま、時間をかけてほんのちょっぴりずつ、削り取るように切る。

 

父の体が向いている方向に自分も体を向け、足をしっかり押さえつつ、視線と神経を足の爪と爪切りに集中させたまま、父と色んな話をする。

その日の天気のことだったり、「晩ごはんはお父さんの大好きなお寿司食べに行こうね~何食べたい?」と食べたい寿司ネタを振ったり、働きながら通った通信制大学の夏のスクーリングの話、母との新婚旅行の話。
高齢者と中年の二人しかいない静かな家で、穏やかに話す父の声はなんとも心地が好い。

 

この時間が、私は取り分け好きだ。
高校卒業と共に、家族を丸ごと背負った85歳の父の生い立ちはなかなかに山あり谷ありなのだが、本人は「だってしょうがないしょ」とあっけらかんと語る。
その強さが好きだ。
実際に何とかしてきて今がある、その自負も好きだ。

 

父の足の爪を切りながら色々話をするのは、床屋さんごっこのような遊びの雰囲気もあり、それもまた楽しい。

 

爪切りが終わり、最後に両足をもう一拭きすると、後片付けは俺がやる、と父は新聞紙を丸めて立ち上がった。
食後の皿洗いもそうだが、父は「できることはやらないと」と、こういうことを率先してしてくれる。体や頭を動かすきっかけにもなるので、私はいつも「有難う、助かります」とお願いしている。
例え、洗い終わり水切りカゴに入れられたお皿の油汚れが全く除かれておらず、夜中に私が洗い直しているとしても。

 

爪切りを仕舞う私の横で、父はいつものようにごみ箱へ、と思ったら素通りし、台所のシンクの前で新聞紙を広げ、爪を排水溝ネットめがけてばら撒いた。

 

お父さーーーーーーーーん!!うそでしょーーーーーーーー!!!???

 

「あぇっ!?えっ!!??」と、衝撃のあまり言語化されない断片を口から漏らす私を見つめる、父のきょとん顔。
なにそのきょとん顔!「なにか?」的完全無垢顔!!腹立つけど可愛いなその顔!!!!

 

「お父さん…爪は、台所じゃなくて、ごみ箱に…捨てて……」
「ん?そうか?」

 

それ以降、「最後に、切った爪をごみ箱に捨ててもらうのをしっかり見届ける」が、私の爪切りタスクに加えられた。